天朝山公園の夜桜
新潟ロシア村の売店で販売
1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き「誌名記録無し」
ロシア村が1998年に全線開通予定の磐越自動車道に近いとあって、同自動車道沿線地域振協議会(11市町村 ※こういう協議会が存在したのですね)の小林一三会長(新津市長・現在は新潟市秋葉区)も積極参加の姿勢を見せる。
小林会長は「一帯が高速交通体系に組み込まれる節目の時。観光もこれからは広域化の時代で、ロシア村は一帯の地域活性化に向けた大きな目玉になる。10月に協議会で500万円の出資を決定し、各市町村が分担して出資金を支出する手続きを来年度予算議会に諮るようにしたい」と言う。
笹神村を含む磐越自動車道沿線市町村の出資が決まると、株式会社は第三セクターの会社となり、民活法の適用を受けて有利な公的制度融資が受けられるようになる。五十嵐笹神村村長と小林会長は「第一期施設で弾みをつけ、第二期施設を計画通り建設するようにしてほしい」と口をそろえる。
しかし不安がないわけでない。バブルの崩壊と長引く不況の影響で全国各地のリゾート施設は軒並み苦戦を強いられている。関係者の今後の踏ん張りにもよるが、果たして新潟ロシア村だけ例外の人気を集められるかどうか。
次回に続きます(次回でこの記事、終了します)。
村岡の「じゅんさい池」
阿賀野市村岡集落にある「じゅんさい池」は、阿賀野市村岡字野地中 1361番1 ため池
地積 7519㎡ 所有者は「官有地第三種」 じゅんさい池は、国有地でした。
上の図、赤い丸印が水原八幡宮。黄色い矢印が中央町1丁目の神明宮。緑の矢印が外城町の砂押稲荷。 さて、旧水原町の一番古い神社はどこ? 水原編年史によると、阿賀野市天神堂集落内にある菅原神社(903~922年建立)が一番古い。ちなみに弥彦神社を名神としたのは833年。菅原神社は弥彦神社から70~89年遅れです。そして、旧笹神村宮下にある、近年 阿賀野市一番のパワースポットと言われている旦飯野神社は927年。 天神堂にある菅原神社の方が24~5年 早く建立しています。何故? この頃、天神堂の村はずれ辺りまで壱分潟で、天神堂集落は半農半漁の生活をしていたようです。海(潟)、船に乗っていたので安全祈願の為に神社を建てたのかなぁ・・と考えます。平安時代の話です。「現在、天神堂集落は平野の中にあります。潟が埋まり、付近は水田耕作地帯で、すぐ近くに新発田市に向かう国道460号が通っています」。 ※平安時代は現在の京都府京都市にあった平安京の時代。 1100年頃に荘園公領制が確立。天神堂の菅原神社、中央町1丁目の神明宮、宮下の旦飯野神社は荘園公領制確立前の神社。水原八幡宮や、砂押稲荷は荘園公領制確立後の神社になります。
次に旧水原町で建立されたのは上の図にある神明宮(991年創建。旦飯野神社の64年後)。現在の神明宮は下の写真です。天神堂の菅原神社と約1.5㎞離れています。
神明宮。県道の新設工事の為に移転し、新築されています。
水原八幡宮から約200m離れている砂押稲荷(1185~1189年創建)。水原八幡宮の創建は推測で1130年。約55年後くらいの創建です。
旧水原町で一番古い神社は天神堂の菅原神社。平安時代に建立された旧水原町の神社は古い順に、①天神堂の菅原神社②中央町1丁目の神明宮③分田の日枝神社(1104年建立)④水原八幡宮(推定1130年)⑤砂押稲荷 この他の神社は鎌倉時代~江戸時代の建立になります。鎌倉時代や江戸時代は、武士の時代。 町内の神社が増えていったのは、神様の信仰が盛大になったせい? 武士が庶民をまとめるのに神様信仰が便利だったから? 次回に続きます。
2020年4月1日午前 阿賀野市役所本所の玄関入口にある鉢植えの結桜。 暖かい日が続いたので花の色が濃いピンク色に変わっています。
花びらの一部が枯れ始めていました。 今年の結桜・市役所編は、今回で終了します。
以下は3月24日と3月16日に投稿した記事です。
2020年3月24日、阿賀野市役所本所 玄関入口で撮影。「鉢植えの結桜です」ピンク色が多くなりました。
以下は、3月16日に投稿した写真です。」
2020年3月16日(月)阿賀野市役所本所の玄関入口で撮影。
1週間ほど前から市役所の玄関入口に鉢植えの結桜が置かれていました。前日の土・日曜日が暖かかったせいか、上の写真のように花が咲いていました。咲き始めなので、白い花やピンク色の花の状態です。