エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#トラウマ #ウソに似ている

2020-04-26 07:07:00 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
 



#最悪 #交通事故

 #イメージの泉その3 #最初の礼拝 #唯一の普遍的原理が効いている 聖書の言葉: συνείδησις シュネーデシス 良心・意識 良心の第3段階 インターメッツ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」    

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.119のブランクから。

 今朝は,p.120の,第5パラグラフから。

 

 

心が途方に暮れていると

 

 良心的な両親でも不安になることが多いのは,アタッチメント研究によって,ときどき子どもに我慢ならないことや,うっかりしてこどもに調子を合わせることができない事が,一生残る傷を子どもに残すんじゃないか,と心配になるからです。実際の暮らしの中では,誤解や思い違いや分かり合えないこともありがちでしょ。お母さんやお父さんが赤ちゃんのサインを見落としたり,他のことにかまけたりしていますから,赤ちゃんは自分で自分を落ち着かせる方法を自分で編み出します。限度内であれば,問題はありません。子どもたちは,満足できなくても,ガッカリしても,何とか折り合うようになります。「善い」お母さんと一緒なら,子どもは,気まずいことがあっても,絆は直るということを覚えます。白黒が付くのは,子ども達がお母さんと一緒に居て安心,という気持ちに,腑に落ちることができるのか否か,ということです。

 「普通の」中流家庭の2000人以上の赤ちゃんの中でアタッチメント・パターンを調べた研究では,62%は安心してくっ付くパターン,15%が,お母さんを避けてくっ付けないパターン,9%が,お母さんに不安なまま(2つに引き裂かれながら、と言ってもいい)くっ付けないパターン,15%が,お母さんに途方に暮れてくっ付けないパターンでした。面白いのは,男女差や生まれ持った気質は,アタッチメント・スタイルには,ほとんど影響しなかった,ということです。たとえば,「難しい」気質の子どもでも,途方に暮れるスタイルになるとは限りません。低階層の子どもでは,お母さんに途方に暮れてくっ付けないパターンになりやすく,それは,両親が経済的に苦しく,また,家族がバタバタしてして,大変な苦労をしているからです。

 赤ちゃんの頃に安心できなかった子ども達は,大人になっても,自分の気分や気持ちの出し方を思い通りにするのが難しいんです。幼稚園までは,途方に暮れている赤ちゃんは,怒ってばかりいるか,あるいは,他の子から離れて関わらないようにするかで,その後,いろいろな心の病になります。途方に暮れている赤ちゃんは,また,生理的にも苦しんでいて,心拍数に現れるように,心拍数は大きく上下し,ストレスホルモンが大量に出て,免疫機能が落ちます。生理反応がうまくできない子ども達は,子どもが育つにつれて,正常になるんでしょうか? それとも,安心できる大人がいるところに引っ越せるのでしょうか? 私どもが知る限り,こういう子等は正常になることもなければ,引っ越しもできません。

 親から大事に育てられませんと,子どもが途方に暮れるだけじゃあありません。親自身が自身のトラウマを抱えていますから,自分の気持ちをコントロールできませんし,心豊かな慰めや見守りを,一貫して子どもにプレゼントすることもできません。親が抱えているトラウマとは,子どもの頃粗末に育てられたり,性的に弄ばれたり,あるいは,最近親兄弟がなくなったり,ということです。どんな患者さんでも,子どもを安心して育てるのに役立つ支援で,手に入る支援は全て必要ですが,特に粗末に育てられた(訳注:発達トラウマ障害の)患者さんは,特に,子どもが求めていることに,息を合わせるために支援が必要です。

 親が分かっていないことが多いのは,自分が(訳注:子どもに)息を合わせていない,ということです。ペトリア・べーベが見せてくれたビデオを今でも鮮やかに覚えています。そのビデオは,お母さんが生後3か月の赤ちゃんと遊んでいるものです。全てがうまくいっていても,赤ちゃんが尻込みして,頭をよそに逸らすことがあります。お休みが必要です,というサインです。でも,あ母さんはそのサインがくみ取れないので,赤ちゃんにもっと関わろうとますます頑張ることになります。お母さんは赤ちゃんに顔を近づけたり,もっと大きな声で話しかけたりして。赤ちゃんがさらに尻込みしても,お母さんは赤ちゃんを揺らしたり,つついたりし続けます。しまいには,赤ちゃんは大声で泣きだします。赤ちゃんが大泣きすると,お母さんは赤ちゃんを床に下して,ガッカリした顔をしてその場から立ち去ります。お母さんは「嫌だなぁ」と感じているのは明らかですが,お母さんができなかったのは,赤ちゃんのちょっとしたサインを見逃しただけなんですよ。このようなちょっとしたサインの見逃しでも,何度も何度も繰り返されたら,お母さんは「もう知らない」という気持ちにいつもなりやすい,と思いません? (夜泣きをする赤ちゃんや動きが激しい赤ちゃんを育てている人ならどなたでも,何をやっても上手くいかないことが,どんなにストレスになるか,を善くご存じです)。日々赤ちゃんを落ち着かせることができずに,陽気で楽しい歓びで赤ちゃんと向かい合うことができないため,そのお母さんは,「この子は私にダメだしする子だ」と感じてしまいます

 治療の中で,お母さんに途方に暮れてくっ付けないアタッチメント・パターンの結果が問題なのか,トラウマの結果が問題なのかを区別することができません。こと2つ結果は絡み合っているからです。私の仕事仲間のレイチェル・イェフダは,性的に弄ばれたり,レイプされたりした,大人のニューヨーク市民のPTSDの割合を調査研究しました。ホロコースト後にPTSDになったお母さんは,トラウマ体験の後に,重たい心の病になる割合が,優位に高いことが分かりました。これを説明する一番理に適った説明は,生い立ちのために,育ちが粗末になり,暴力を受けた後にバランスを取り戻すことが難しかった,ということでしょう。イェフダが気付いたことは,2001年に(訳注:マンハッタンの南部にあった)世界貿易センターの大惨事に妊婦さんのお子さんたちにも,育ちが粗末になる同じ脆さがある,ということでした。

 

 

 途方に暮れたお母さんは,途方に暮れた原因が,ナチス強制収容所でも,世界貿易センタービルの大惨事でも,自分の育ちにあっても,そのトラウマを解消しないと,ご自分の大事なお子さんに,目には見えないけれども,爆発的な力を発揮するトラウマを負わせることになってしまうようです

 トラウマは,エリクソンが言う「人類を上下2つに分けるウソ」と似ていますね。

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#コロナ以上 #エリクソンの痛い思い出

2020-04-26 06:38:52 | エリクソンの発達臨床心理
 


 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #パレーシア

 #聖書の言葉 #1人豊か #悪口通り? 発達トラウマ障害(DTD),自分で自分をコントロールできません    脳には遊びが必要なのだ!   「欠けたることもなし」......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

    Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and  Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンの出版した最後の論述になると思います。

  1902年生まれのエリクソン,当時83歳。

 p.9のブランクの後から。

 今朝は,p.10の第2パラグラフ,7行目から。

 

 

 今の2つの大国の,2人の親のタイプのぶつかり合いを,心から自由になる観点から見ますと,全てに影響する「アメリカ的な《ママ》」の母親のジレンマと,《ドイツ的な父親》が歴史的に壊された父親のタイプとに、ぶつかります。《口うるさい教育ママ》は,シングルマザーに一括りできないお母さんの様々な特色を示していると言われます(289ページ)が、もう1つ一般論を引用すれは,「母親が《ママ》になるのは,父親が,昔ながらの父親役になれない衝撃で,《パパ》になった時だけです」。と申しますのも,もしも皆さんが教育ママになっているとしても,教育ママだけが,子どもの対する父親の思いを取り違えたんですね。アメリカのお母さんたちが,お爺さんの役回りをするようになったのは,アメリカのお父さんたちが,教育や子育てで,家族をまとめる立場を止めたからです(p.295)。どちらのケースでもとても為になってきたのは,お母さん,あるいは,お父さんは,どんなタイプだったのか,ということと,お母さんとお父さんの関係はどうだったのか,ということを話し合うことです。これまで私は,軍靴が聞こえる中で父親の子どもに対する思いが残忍になったことに触れましたし,山川草木森羅万象悉がかしづいて,晴れ晴れと自由に生きることを振り返っていますのは,時間を見通す時に,いまここにこそ,山川草木悉が生きるはキリストとなって,聖書の神様のいのちを分かち合う結界がありますよ,ということをお示しする為なんです。そのいまここは,科学技術が最高に発展した結果,世界中の全ての人が,核爆弾の危機であると同時に,人間の最深欲求(聖書の神様と共に居て1人だけが満たすことができるヌミノース)を満足できない危険にさらされているいまここです。人類すべてを救うことができる,と同時に,生きるはキリストの結界ができるのはのは,人類すべての,お母さんの〈叫び〉お父さんの〈叫び〉が、《この2つの叫びが響き合って心から自由になる大人になる》対等な関係がある場合だけです。

 もちろん,お母さんたちは全ての子ども達の幼い頃の数年を司りますし,教育する習慣や毎日礼拝にする習慣,例えば,学校や家庭で,全ての関わりを始めますが,他方,家族を養うことや市民生活に関する毎日礼拝に加えて,敵と戦って勝つスピリットを養うこと,「聖書の神様が司る」心から優しい結界があることが目印になる特別な場の中で,特に敵と戦って勝つスピリットを養うことは,お父さん任せにしがちです。しかし,様々な子育てをする時の人間らしい《心からの優しさを抱く仲間》が「境界線を作る」ことは,いつでも,全くの敵を脅すことですし,自分と他者に分けて見る集団が,別の人種と見るようになるばかりではなく,別々に発展して人種と見るようになりまして,それを私は,人類を上下2つに分けるウソ」と呼んでいるものができます。 「人類を上下2つに分けるウソ」の最悪ケースが,近代史の中で,とっても進歩的で,教育レベルも高い国で,目には見えないように,しかし,爆発的な力を発揮したのがナチズムだ,と私ども夫婦は,身に染みて痛感してきました

 

 

 コロナのいまも,コロナ以上に,「人類を上下2つに分けるウソ」に伴う憎しみ満たされなかった自己愛こそが,人類に最悪をもたらすペストです。

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#夢中 と #生きている意味 #生かされている実感

2020-04-26 05:51:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#全てはキリストから #夢中で #たまたま

 #互いに認め合い希望を叶え合う光 #最重度で破壊的な心の病 #発達トラウマ障害 #パンデミック 現世考 : 恩返しと仕返し    演じることは、≪本当の自分≫......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 p.344の,ブランクの後。

 今朝は,p.345,第4パラグラフ,11行目から。

 

 

 4 子どもの頃 :あの台本通りに,と あの形

 

 私がこれまで取り出した毎日礼拝の元は2つです。その2つは,本当の自分を創造発達させる中でキッパリと根付かせました。最初の病因を突き止める「病因論」の視点で見る時,繰り返し申し上げておきたいことは,赤ちゃんの時期と大人の人生のハビットの間に単純な因果関係があるということを私が申し上げているわけではない,ということです。それは,大人の様々な毎日礼拝には,特に,子どもが自分の足で自律したいという,目には見えないニーズに応えるという意味がありますから。ご先祖様や聖書の神様は次第に大人になることを求めている,というイメージ(これから見ますけれども)は,子どもに顔を近づけるお母さんの真似をしたり、「正義」の理想を追ったりすることだけじゃない,子どもの頃の悪い良心が外に現れることだけじゃない、ということです。むしろ,人が聖書の神様の予定(説)に従って創造発達するのは,人生のハビットを形作る主たる元(型)のそれぞれが,長い子どもの頃のそれぞれの舞台にありつつ,それぞれの子どもの頃の舞台に根差していることは確かにそうなんですが,その人生のハビットを形作る元(型)が展開すると,繰り返しシャローム英和をより気高く前進させるんですヌミノースの元(型)は,分別の毎日礼拝でも繰り返し現れるますが,それは,全ての「気高い相手」や「正義の女神」の気高さにくっ付いている燃え上がる光みたいです。あるいは,ヌミノースの元(型)は,「正義の女神」のイメージを象徴したりイメージしたりする礼拝を具現する人物に付き物の燃え上がる光のようです。ところが,ヌミノースの元型や分別の元型そのものが,たとえ,特定の人生の舞台や特定の人生のハビットを差配するとしても,毎日礼拝を「作り出す」訳じゃないんです。他の元型も2つの元型と一緒に働かなくちゃならんからです。もちろん,この後で「あの台本通りに努める」元型,「完全にやり遂げる」元型、「理想に賭ける」元型も論じます(p.348の図1参照)。

 まず,「あの台本通りに努める」元型です。この元形は,私は,「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」が完熟する中に根差している,と信じています。「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」さえあれば,子どもは手に入るものを使って,「台本通りに聖書の神様のいのちが一巡する役割を果たして,2人が一心同体に成る物語を創造し,「最高の結末」ができます。

 第2の「分別」の舞台は,親の声が子どもの心に入る所に特色がありますが,他方,この(訳注:第3の)遊びの舞台が(訳注:3~5歳の)子どもに手渡すのは,1つの小さな実感です。その小さな実感の中で,その小さな子どもは,親がやる毎日礼拝から逃げ出して,過去に体験したことをもう一度生きて,正して,創造し直しますし,未来はこういう役割してこういう出来事があります,ということを,全ての毎日礼拝の特色である,自ら願って諦めずに繰り返し,信頼して待つことになります。しかし,この年頃の子どものテーマは,親の役回りを奪ったり,真似したりする場合がとても多いんです。それで,私はこの原理を,腑に落ちない,と名付けたいんです。腑に落ちない気持ちがありますと,遊びの中では,イライラと頑固になりますが,自分を責める人生のハビットとなってしまいます。この自分を責める人生のハビットは,分別の場には付き物だと思うかもしれませんね。でも,自分を責めることは,自分を傷つけることになるに決まっていますでしょ。自分を傷つけることは,実際に自分を傷つける前に,その空想する間もありません。自分を傷つければ,人に知られますし,人に知られれば,罰せられます。

 自分を罰するものが人からも罰せられるテーマは大きな悲劇ですが,それは,その「悲劇を見せる場」が大人の《遊び》となるからです。おもちゃの舞台で遊びに夢中になることと,公にされる演劇や聖書の神様を毎日礼拝する中で現れる三昧は,人生の第3舞台に特有の「コンプレックス」に,フロイトさんが悲劇の主人公、エディプスという名を付けたくなったテーマが同じです。エディプス・コンプレックスというこの同じテーマは,高ぶりと責める気持ちがぶつかり合っていることですし,父親にように指図をすることと罰を受けることがぶつかり合うことですし,心から自由になることと聖書の神様に背くことがぶつかり合うことです。「あの台本通りに努める」元型が表に現れることを畏れるという正しい心の習慣は,ヌミノースの元型や分別の元型なしにはあり得ない舞台です。

 この遊びの時期を特色づける心の病,遊びの時期から生じる心の病の傾向って,どんなものでしょうか? それは,自分はダメだぁと責めすぎる重荷です。この自分はダメだぁとと責めすぎる重荷がありますと,自分が思っていることも言えず,自分から人に関わることもできません。この心の病が最も劇的に示されているのが,『ハムレット』であるのは偶然ではありません。言葉のあらゆる意味でactor 自分から人に関わることができない悲劇だからです。ハムレットは「遊びの中の遊び(訳注:劇の中の劇,あるいは,最高の歓び)」を工夫して,ダメだぁと自分を抑えつける悪い良心を治療しようとしますし,遊び(訳注:劇,あるいは,最高の歓び)の中で,遊び(訳注:劇,あるいは,最高の歓び)によって,天罰を用意しようとします。でもね,天罰って,天罰以上に悪いものからの救いのように見えますよ。だって,天罰以上に悪いものって,豊かさと権力の中にあるむなしさですもん。それに,トン罰以上に悪いものって,「男の仲からも女の仲からも」歓びを見付けられない病ですから,実際に歓びを見付けられませんでしょ。「男の仲からも女の仲からも」歓びを見付けられない病こそ,歓びもなく,(訳注:中核にある)ぶつかり合いなどない,という人の特色です。

 「学びたくなる気持ちを育む力」は毎日礼拝にもう1つの元型(元気)を付け加えます。「最後までやり遂げる」の元型(元気)です。今申し上げた「最後までやり遂げる」元気があれば,こまごました手順ややり方を,「あーせい、こーせい」と口うるさく言わずとも,やっていけます。最後までチャンとやり遂げる知性と気持ちが育つのは,学びたくなる気持ちを育む力がある場合だけです。いや,むしろ,最後までチャンとやり遂げる知性と気持ちが育った後で,子どもは「学びの結界」にやられるんです。(訳注:遊びと仕事,および,自由と義務が,それぞれ)2つに裂ける程度は色々ですが,遊びだったことが,お仕事になり,空想の翼を広げて歓ぶ自由があったことが,細部まで十分に気を配って最後までやり遂げるのが義務になってしまいます。細部まで十分に気を配ることが,1つの仕事をやり遂げて,しかも,「正しく」やり遂げるのに必要なんです。毎日礼拝が,2人の間で聖書の神様のいのちが一巡する結界になるのは,「学びの結界」と呼ばれる場で2人が互いに正直に省みる時だけです。「学びの結界」は,「あっちだよと,生きる指針を示す教師」とひとりびとりの生徒が,それから,「夜明けを告げる仲間」とひとりびとりの生徒が,互いに夢中になる中にあります。さらには,これまで記してきた毎日礼拝のささやかな務めに,互いに2人が夢中になることの中にあります。2人が互いに夢中になることができるのは、唯一の聖書の神様のいのちが一巡して,子どもを大切にする創造世界で,大人がどんな声(訳注:あるいは、叫び = 祈り)を子どもに掛けていますか? 大人が子どもから何を学び,どれほど大切にしていますのか? そして,大人自身が自分を育てていますか? に大人がどう答えているかによります。私が傅いていることですが,2人が互いに夢中になることは,毎日礼拝にある「あの光に形をもたらす視点」が,生きている実感を生み出す源になります,ということです。

 

 

 相手のために夢中になる,相手のために無我夢中になる,ということが,確かに生かされているという実感をもたらし,生きている意味をプレゼントしてくれるみたい。

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#かしずく と #人間も光る

2020-04-26 04:59:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
 


 
#光 と #習慣

 #遊び #陽気で楽しい創造 #ウソとゴマカシの破壊 エリクソンの叡智: ヒドイ,アベ政治の源は,ヒドイ,家族内でのウソとゴマカシから    発達トラウマ障害≒愛着......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p26の下から4行目から。

 5年ぶりに,翻訳し直しです。

 5年間のエリクソン理解の進歩に感謝です。

 

 

 この「心響かせて関わるのが一番大切」という行動指針、すなわち,人間の務めにおいて、お母さんの役目とお父さんの役目が心の中でハーモニーを持つように育っているか否かは身体に根っこがある,ということですが,それは、「エピジェネシス聖書の神様があらかじめ心響かせて関わることができるように人間はじめ被造物を創造している」ということです。このエピジェネシスという言葉は、発生学から借りて来たものですが,今日発生学の地位がどうであれ,私ども人間の務めの初めに,心響かせて関われる本物の大人になることをもたらす,人間を光らせて下さる光を目指す,聖書の神様の創造の前で,私ども人間がかしずくのを前に進めてくれましたね。

 

 

 かしずく(傅く)

 ほとんど死語でしょう。

 聖書の神様(アッラーの神様,大日如来)かしずく

 すると,聖書の神様(アッラーの神様,大日如来)仕える様に,子どもを大切に育てるようになります(三省堂 『大辞林』)。

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#聖書の言葉 #単独者の恵み #空っぽと感激

2020-04-26 03:13:00 | 聖書の言葉から
 
 



#光 と #習慣

 #遊び #陽気で楽しい創造 #ウソとゴマカシの破壊 エリクソンの叡智: ヒドイ,アベ政治の源は,ヒドイ,家族内でのウソとゴマカシから    発達トラウマ障害≒愛着......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

ボンヘッファーの言葉の、一層さらにもうちょっと後ろです。

 

 

完全に空っぽ

 

になると

 

心の底の底から

 

感動します

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