エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#やる気 と #やり遂げる元気

2020-04-14 09:54:27 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#創造 と #毎日礼拝

 #知の発達予定表 も #日常生活を礼拝にすること の中にある #意味と価値 現世考: 数字と世論調査に,ご注意!!  実際は半分の数字しか示さない,「モニタリング......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 p.344の,ブランクの後。

 今朝は,p.345,第4パラグラフから。

 

 4 子どもの頃 :あの台本通りに,とあの形

 

 私がこれまで取り出した毎日礼拝の元は2つです。その2つは,本当の自分を創造発達させる中でキッパリと根付かせました。最初の病因を突き止める「病因論」の視点で見る時,繰り返し申し上げておきたいことは,赤ちゃんの時期と大人の人生のハビットの間に単純な因果関係があるということを私が申し上げているわけではない,ということです。それは,大人の様々な毎日礼拝には,特に,子どもが自分の足で自律したいという,目には見えないニーズに応えるという意味がありますから。ご先祖様や聖書の神様は次第に大人になることを求めている,というイメージ(これから見ますけれども)は,子どもに顔を近づけるお母さんの真似をしたり、「正義」の理想を追ったりすることだけじゃない,子どもの頃の悪い良心が外に現れることだけじゃない、ということです。むしろ,人が聖書の神様の予定(説)に従って創造発達するのは,人生のハビットを形作る主たる元(型)のそれぞれが,長い子どもの頃のそれぞれの舞台にありつつ,それぞれの子どもの頃の舞台に根差していることは確かにそうなんですが,その人生のハビットを形作る元(型)が展開すると,繰り返しシャローム英和をより気高く前進させるんですヌミノースの元(型)は,分別の毎日礼拝でも繰り返し現れるますが,それは,全ての「気高い相手」や「正義の女神」の気高さにくっ付いている燃え上がる光みたいです。あるいは,ヌミノースの元(型)は,「正義の女神」のイメージを象徴したりイメージしたりする礼拝を具現する人物に付き物の燃え上がる光のようです。ところが,ヌミノースの元型や分別の元型そのものが,たとえ,特定の人生の舞台や特定の人生のハビットを差配するとしても,毎日礼拝を「作り出す」訳じゃないんです。他の元型も2つの元型と一緒に働かなくちゃならんからです。もちろん,この後で「あの台本通りに努める」元型,「完全にやり遂げる」元型、「理想に賭ける」元型も論じます(p.348の図1参照)。

 まず,「あの台本通りに努める」元型です。この元形は,私は,「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」が完熟する中に根差している,と信じています。「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」さえあれば,子どもは手に入るものを使って,「台本通りに聖書の神様のいのちが一巡する役割を果たして,2人が一心同体に成る物語を創造し,「最高の結末」ができます。

 第2の「分別」の舞台は,親の声が子どもの心に入る所に特色がありますが,他方,この(訳注:第3の)遊びの舞台が(訳注:3~5歳の)子どもに手渡すのは,1つの小さな実感です。その小さな実感の中で,その小さな子どもは,親がやる毎日礼拝から逃げ出して,過去に体験したことをもう一度生きて,正して,創造し直しますし,未来はこういう役割してこういう出来事があります,ということを,全ての毎日礼拝の特色である,自ら願って諦めずに繰り返し,信頼して待つことになります。しかし,この年頃の子どものテーマは,親の役回りを奪ったり,真似したりする場合がとても多いんです。それで,私はこの原理を,腑に落ちない,と名付けたいんです。腑に落ちない気持ちがありますと,遊びの中では,イライラと頑固になりますが,自分を責める人生のハビットとなってしまいます。この自分を責める人生のハビットは,分別の場には付き物だと思うかもしれませんね。でも,自分を責めることは,自分を傷つけることになるに決まっていますでしょ。自分を傷つけることは,実際に自分を傷つける前に,その空想する間もありません。自分を傷つければ,人に知られますし,人に知られれば,罰せられます。

 自分を罰するものが人からも罰せられるテーマは大きな悲劇ですが,それは,その「悲劇を見せる場」が大人の《遊び》となるからです。おもちゃの舞台で遊びに夢中になることと,公にされる演劇や聖書の神様を毎日礼拝する中で現れる三昧は,人生の第3舞台に特有の「コンプレックス」に,フロイトさんが悲劇の主人公、エディプスという名を付けたくなったテーマが同じです。エディプス・コンプレックスというこの同じテーマは,高ぶりと責める気持ちがぶつかり合っていることですし,父親にように指図をすることと罰を受けることがぶつかり合うことですし,心から自由になることと聖書の神様に背くことがぶつかり合うことです。「あの台本通りに努める」元型が表に現れることを畏れるという正しい心の習慣は,ヌミノースの元型や分別の元型なしにはあり得ない舞台です。

 この遊びの時期を特色づける心の病,遊びの時期から生じる心の病の傾向って,どんなものでしょうか? それは,自分はダメだぁと責めすぎる重荷です。この自分はダメだぁとと責めすぎる重荷がありますと,自分が思っていることも言えず,自分から人に関わることもできません。この心の病が最も劇的に示されているのが,『ハムレット』であるのは偶然ではありません。言葉のあらゆる意味でactor 自分から人に関わることができない悲劇だからです。ハムレットは「遊びの中の遊び(訳注:劇の中の劇,あるいは,最高の歓び)」を工夫して,ダメだぁと自分を抑えつける悪い良心を治療しようとしますし,遊び(訳注:劇,あるいは,最高の歓び)の中で,遊び(訳注:劇,あるいは,最高の歓び)によって,天罰を用意しようとします。でもね,天罰って,天罰以上に悪いものからの救いのように見えますよ。だって,天罰以上に悪いものって,豊かさと権力の中にあるむなしさですもん。それに,トン罰以上に悪いものって,「男の仲からも女の仲からも」歓びを見付けられない病ですから,実際に歓びを見付けられませんでしょ。「男の仲からも女の仲からも」歓びを見付けられない病こそ,歓びもなく,(訳注:中核にある)ぶつかり合いなどない,という人の特色です。

 「学びたくなる気持ちを育む力」は毎日礼拝にもう1つの元型(元気)を付け加えます。「最後までやり遂げる」の元型(元気)です。

 

 封印の奥にあるプレゼントです。

 やる気は,最後までやり遂げる元気と結びついているようです。

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#視座問題 #本田哲郎神父の教えの大切さ

2020-04-14 09:50:56 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #2人の自分

 #チャンスは向こうからやってくるもの #イエスと同じ ヴァン・デ・コーク教授からの「革命」への招待状    発達トラウマ障害≒愛着障害のこどもは、集中力にも、お勉......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

    Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and  Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンの出版した最後の論述になると思います。

 p.8の第3パラグラフから。

 今朝は,p.9の,第3パラグラフの7行目から。 

 

 

 臨床で人間をよく観察する日々を記す中で,初めて偉大な体験に戻ることができたんです。それは,心優しい友達や先生のおかげで,ウィーンのフロイト派の「先達」の中で,近年発見された,子どもの頃の体験の普遍性について,体得することこそ気高い試練だ,というところに戻ります。それは,特別学校で私どもが観察する時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があることを体得するという気高い試練がありますし,心の病で苦しむ大人の思い出と成育歴から,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があると体得するという気高い試練がありますし,子どもを自由にすることそのものズバリを出来事にすることから,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験に普遍性があると体得する気高い試練がありますが,それはかつて,アンナ・フロイトが(訳注:大文字の希望にまで)育てた,子どもの頃の体験に普遍性があると体得するという偉大な試練です。

 この本の第一版の序文で,最初にウィーンで,ついで,このアメリカで,子どもの立場について,温めて,論文にもするようになったそのやり方を纏めました。その中に,それだけで1つの段落となった1つの文章がありました。それは「この本は,私の伴侶,ジョアン・エリクソンが編集しました」という文章がありました。しかし,私はこれにこう付け加えなくてはなりませんね。「私の本の全ても,ジョアンが編集しました」と。彼女もウィーンの私どもの小さな学校で教えながら,心から自由になるとはいかなることかを学んでたんです。その後,ジョアンと私は,ヒットラー政権による破壊的試練が目の前に迫っていましたから,渡米したんです(ジョアンはカナダ生まれです)。私は英語で話しを始めることはほとんどできませんでしたから,ジョアンは私の一緒に直すことになりました。このおかげで,私は,アメリカン・インディアンを含めて,様々な社会や文化圏の子ども達が陽気で楽しい歓びを歓ぶあの歓びの中にある,「目に見える表現」と幾重にも「封印された課題」を結び付けたいという,試練を希望にする私の試みに究極的には役立つ,毎日礼拝の結界感覚的で直感的に理解し,伝道する唯一無二の毎日礼拝する生き方を磨くのに役立ちました。しかし,ジョアンが私の一緒に直すことをしてくれたおかげで,聖書の神様のいのちが一巡する結界を見守る見守りを,ジョアンと私は共にすることができました。聖書の神様のいのちが一巡する結界は,「健全な人格の発達と試練」というタイトルで,全ての人が本当の自分が生きる(訳注:シャローム平和)ことに必ずお役立つ,20世紀中ごろのホワイトハウス会議にも役立ちました。聖書の神様のいのちが一巡する結界は,「健全な人格の発達と試練」というタイトルで,全ての人が本当の自分が生きる(訳注:シャローム平和)ことに必ずお役立つ,20世紀中ごろのホワイトハウス会議にも役立ちました。共に育つ2人と,2人を仲良しにするスピリットに関しては,私が笑みを湛えて思い出すのは,ブレイクの詩「おもちゃと英知こそ 2つの季節の実り」です。ですからね,「おもちゃと英知」は,単にこの本の1つの章の意義深いタイトルになっているだけではなくて,ハーヴァード大学で行われた「ゴドキン講義(聖書の神様の家族の声)」の一部をなしたこの本自体(訳注:キリストが表れている本,新約聖書)のタイトルでもあった訳です。

  『おもちゃと英知』は,初めから,とても多くの方に読んでいただきまして,沢山の「よその」言葉で(私が学校で習った言葉のドイツ語と,私の母語,デンマーク語も,含まれます)に翻訳されました。実際に,今を私の目の前に,デンマーク語版の「聖書の神様のいのちが一巡することができた」があります。このタイトルは,(訳注:デンマーク語で)LIvsringen Slutted : En Studiebog 『いのちの繋がり(訳注:いのちの和)ができた 研究ジャーナル』です。

 1963年版の『子どもの頃と仲間たち』の索引の中では,いくつかの項目が「中核にあるぶつかり合い(訳注:核の戦い)」として挙げられます。今日核が心配ということに触れていることを探しますと,驚くのは,「信頼 対 不信」という見出しが見つかることです。「信頼 対 不信」こそ,人生で根源的な課題です。ですからね,いまここで,もう一度,振り返っておきましょうね。本当に元凶になっている「核の戦い」が人間のいのちにあるということを。つまり,その「核の戦い」とは「母親」と「父親」の巡り合わせですから,全世界が核武装して山川草木全てが危機に陥ると自分たちが感じるが,「母親(訳注:子どもを世話すること)」と「父親(訳注:子どもとの関係での立ち位置)」の巡り合わせの中で生まれ変わること(訳注:復活 Resurrection)です。母親と父親のあり方が根源的なぶつかり合うことは,フロイトさんがエディプス・コンプレックスを見付けて以来,心から自由になることを考える際に中心課題になります。

 

 

 本田哲郎神父様が,低い視座の大切さをキリスト教の根源的な課題としている意味は,このエディプス・コンプレックスの意味や,母親と父親のあり方がぶつかり合っていることの意味を解くカギになっていたことを,教えられました。

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#まさかの訳

2020-04-14 09:22:38 | エリクソンの発達臨床心理
 
#私の人生のはじめ #腑に落ちるから

 #意味の体得 #礼拝の創造 と #踏みとどまる力 #復活の人生創造の人生 聖書の言葉:διαθήκη,ディアセケー,約束:特別に「とても良かった」 発達トラウマ障......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと試練』

 今朝は,p.176の,最初から。

 備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。

 

 

 忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません

 

ダメだと言われている人と一心同体に成るという選択

 お母さんと一心同体に成って,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちる心の習慣がありませんと,家族や近隣の人々の中で,素晴らしいとか,望ましいとか思われている役割に対して,小ばかにし,鼻持ちならない敵意を抱くことになる場合が多いんです。人から頼られる役割は,おしなべて,腑に落ちる心の習慣がない若者がひどく毛嫌いする中心点になりがちです。このように,自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,アングロサクソンの一番の古株からラテン系やユダヤ系の新米まで,あらゆる人間に見られます。自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,何でもかんでもアメリカ的なことは大嫌いという態度にもなりますし,馴染めないこと全てに対して,理屈に合わないほど,買いかぶったり,軽蔑しすぎたり,ということにもなりがちです。聖書の神様のいのちが一巡して,晴れ晴れと本当の自分に生きがいのあるいのちが2人に実るのは,(訳注:一粒の麦が落ちて死んで)1人が自分のいのちを空っぽにする時だけなんですよ。反対に,生きている実感が萎んで,1人でも傲慢になると,2人が本当の自分を生きるのが抑え込まれることになります。ケース報告で印象的なバラバラになった自分が示しているのは,悪い良心が勝って,若者のよちよち歩きの一心同体の実感がバカにされている,ということなんです。「『お前はダメだ』と言う心の声が,この頃,よく聞こえるんですよ。『お前はダメだ』と言う心の声は,やることなすこと『ダメだ』と言ってくるんです,というわけですね。その若者の話では『煙草を吸っても,女の子に“好きだよ”と言っても,身振りをしても,音楽を聴いてても,本を読もうとしても,この3番目の声は私にいつでも,『お前がうまくやろうとしたって,ダメ(ウソ)ですよ』と言うんです」,この『お前はダメだ』と言う心の声は,とっても冷酷です。とある日,内から大学へ行く途中,その若者が乗った電車が,ニュージャージーの沼地と貧民街を横切りました。その若者が強く感じたのは,大学や家の人よりも,貧民街の人と,気が合う,ということでした。いのちは貧民街みたいなところにだけある感じで,対照的に,大学は庇護された女々しい場所に思えたのでした。

 この例の中で大事なのは,圧倒的な悪い良心,「お前はダメだ」という心の声(しかし,その声は,この若者が別の道を選ぶほどにはまとまっていません)のことをよく考えてみることばかりではなくて,一心同体に成れずに病んだ自分を,バラバラな社会のせいにすることをよくよく考えてみるなんです。似たようなケースはフランス系アメリカ人のケースですが,その方は,かなり栄えた炭鉱町の出身で,男の子と一緒ですと,突然不安に襲われてパニックになったんです。割り当ての悪い良心がいつもくっ付いてきて,聖書の神様と一心同体に成り損ねていると,まるで聖書の神様との関わりとは的外れな強迫的な思いに飛びついてしまうんです。その的外れな強迫的な思いとは,男はみんな,やっぱり「フレンチはこうでなくちゃ」と思われるセックスをしてくれると期待しているもんだ,ということでした。

 このように,国や民族の祖先に馴染めないことが,「本当の自分と一心同体に成る」ことが完全にダメになるのは珍しいことです。ただし,特定の名前やニックネームで呼ばれることを,新しい旗印に居場所を探している若者の中には,いつも怒っている人は珍しいことではありません。しかし,自分のルーツについて仲良く話し合って,見直すことはよくあることです。中央ヨーロッパ系の出身のとても独創的な高校生は,スコットランドから来た移民をひそかに探して,その移民の方言や習慣を熱心に学んで,真似しました。歴史書や旅行ガイドの助けを借りて,スコットランド人との関わりの中の与えられた場で,夜に長いおしゃべりをして,スコットランドの子孫であることに腑に落ちて,自分の子どもの頃を独力でもう一度育て直しました。この女子高生は,アメリカ生まれの両親のことを,「私を ”ここアメリカ” に連れてきた張本人」と言いましたし,私のところに送られてきたときには,自分のことを「ローナ」(訳注:不倫とヌードのシーンで物議をかもした,1964年公開の映画とその主人公の名前)と呼んで,「あっちスコットランド」の子どもの頃を,事細かに話してくれました。私はその話に寄り添っていましたが,彼女曰く,「それが本当かということよりも,腑に落ちる意味がある,ということがもっと大切なんです」と。その腑に落ちる意味がある,ということは,その女子高生は以前ご近所の女性にピッタリとくっ付いて馴染んでいた,という1つに思い出に繋がりました,その近所の女性は,イングランドの島の出身で,女子高生の両親が実際にしていたこと,できたことよりも心強く,女子高生の望み通りの心から優しい温もりのある関わりをしてくれていたのでした。「真実」を見付け出す「空想の翼」みたいな力に隠れた力は,親を殺してしまいたい願いになりましたが,この親を殺してしまいたい願いは,一心同体に成り損ねた重症の危機には必ず隠れています。空想の翼の賢さがヒョイと出るのは,私がその女子高生に「スコットランドのこまごました暮らしを,どうやって整えるの?」と質問した時でしたね。その娘は,「ありがとう,先生」とスコットランド訛りの言葉で応えて,「私には,腑に落ちる過去が必要だったんですよ」と応えた時でしたね。言うまでもないことですが,腑に落ちる過去には,口蜜,身蜜,意蜜という不思議なギフトが必ず伴いますから,「空想の翼」は,心の病とは,その性質も予後も,全くの別物です。

 しかし,概して,私どもの患者さん達は,本当の自分と一心同体に成ることができない,というよりも,分からない形で,シックリしない感じを出します。本当の自分と一心同体に成り損ねますと,ダメと言われている人と一心同体になります。即ち,発達のいくつもある試練の中で,一番やっちゃダメだからね,一番人を傷つけることになるからねと教えられてきたけれども,一番実感を感じる人や役回りに,ねじ曲がって根付いた人物と一心同体に成ってしまいます。例えば,あるお母さんは,最初の息子さんを亡くして,自分を責める気持ちがありましたから,その後に授かった子ども達には,最初の息子さんに捧げたのと同じくらいの,気高い信頼感をもって,くっ付けなかったため,子ども等に対して,健やかになると「認められる」ことを受け合うよりも,どうせ病気になったり,死んでしまったりするんだから,という悲運に満ちた確信を,子ども等に呼び覚ましたのでしたアルコール依存症に落ち込んだ兄弟に対して愛憎相半ばする気持ちが無意識に溢れていた,あるお母さんは,自分の息子の中のある,その兄弟と同じ傾向にだけ,繰り返し繰り返し反応しましたし,その繰り返しはアルコール依存症の兄弟の悲しき運命をたどるほどでしたから,この息子さんは,生まれながらに持っている善くなりたいと願うよりも,「ダメだと言われた人」と一心同体に成ることになったのでした。その息子さんは努めて大酒飲みとなり,なくてはならない指針も見つからず,他の生き方を頑固に拒んだまま,亡くなってしまいました。

 他のいくつかのケースでも,ダメと言われた人と一心同体に成ることが厳しくも現れたのは,過度に支配的な親が押し付けた目標や目上の者が実現した目標には目もくれずに,自分だけの狭い目標を見つけ出し,こだわりたくなった点です。さっきの2つのケースでは,両親の弱さと口には出さない願いを,この子が,子どもは気が付かないという大人の期待に反した鋭い嗅覚で,嗅ぎ付けています。素晴らしい芸人魂があった男の娘さんで,大学から逃げ出して,南部の町の黒人街で売春婦として逮捕されましたが,他方、南部の黒人の力のある伝道者の娘さんは,シカゴで薬物依存症になってました。こういったケースで一番大切なのは,この娘さんたちのこのような役回りは,嘲笑いながら復讐するための見せかけだ,ということに気付くことです。と申しますのも,その白人の娘さんは,実際には,身体を売っていませんでしたし,その黒人の娘さんも本当は依存症ではありませんでしたから。しかしながら,この2人の娘さんは,伸るか反るかの瀬戸際に立たされていたんです。司法警察官や精神科医らに,その娘さんたちがしでかしたことに烙印を張ってもらって,伸るか反るかの瀬戸際を立ち去るんです。この二人の娘さんのケースに呼応するケースは,小さな町で「村の同性愛」だとして精神科クリニックら送られてきた1人の少年のケースでしょう。調べてみますと,この少年が,幼い頃,目上の男の子たちからレイプされた時に,1人以外には実際には同性愛をしていないのに,「同性愛」とみなされたように思えました。

 このように,ダメだぁと言われている人を反抗的に選択することは,もちろん,聖書の神様と一心同体に成って,生きている実感が漲る結界を,手近な場では,お互いにつぶし合った場の中で,あの気高いキリスト(訳注:新しい人 Resurrection)を見つけ出そうとしているのです。ダメだぁと言われている人を反抗的に選択したことのある苦しみを担っている人たちは,まさかと思う役回りに一心同体に成ったという実感を持ちやすいことを示しています。

 

 

 その一例が,植松聖さんです。

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#親が大事にしてくれない #親も途方に暮れている

2020-04-14 08:10:09 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
 



#創造 と #毎日礼拝

 #知の発達予定表 も #日常生活を礼拝にすること の中にある #意味と価値 現世考: 数字と世論調査に,ご注意!!  実際は半分の数字しか示さない,「モニタリング......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.119のブランクから。

 今朝は,p.120の,第3パラグラフから。

 

心が途方に暮れていると

 

 良心的な両親でも不安になることが多いのは,アタッチメント研究によって,ときどき子どもに我慢ならないことや,うっかりしてこどもに調子を合わせることができい事が,一生残る傷を子どもに残すんじゃないか,と心配になるからです。実際の暮らしの中では,誤解や思い違いや分かり合えないこともありがちでしょ。お母さんやお父さんが赤ちゃんのサインを見落としたり,他のことにかまけたりしていますから,赤ちゃんは自分で自分を落ち着かせる方法を自分で編み出します。限度内であれば,問題はありません。子どもたちは,満足できなくても,ガッカリしても,何とか折り合うようになります。「善い」お母さんと一緒なら,子どもは,気まずいことがあっても,絆は直るということを覚えます。白黒が付くのは,子ども達がお母さんと一緒に居て安心,という気持ちに,腑に落ちることができるのか否か,ということです。

 「普通の」中流家庭の2000人以上の赤ちゃんの中でアタッチメント・パターンを調べた研究では,62%は安心してくっ付くパターン,15%が避けてくっ付くパターン,9%が不安なまま(2つに引き裂かれながら、と言ってもいい)くっ付くパターン,15%が途方に暮れるパターンでした。面白いのは,男女差や生まれ持った気質は,アタッチメント・スタイルには,ほとんど影響しなかった,ということです。たとえば,「難しい」気質の子どもでも,途方に暮れるスタイルになるとは限りません。低階層の子どもでは,途方に暮れるパターンになりやすく,それは,両親が経済的に苦しく,また,家族がバタバタしてして,大変な苦労をしているからです。

 赤ちゃんの頃に安心できなかった子ども達は,大人になっても,自分の気分や気持ちの出し方を思い通りにするのが難しいんです。幼稚園までは,途方に暮れている赤ちゃんは,怒ってばかりいるか,あるいは,他の子から離れて関わらないようにするかで,その後,いろいろな心の病になります。途方に暮れている赤ちゃんは,また,生理的にも苦しんでいて,心拍数に現れるように,心拍数は大きく上下し,ストレスホルモンが大量に出て,免疫機能が落ちます。生理反応がうまくできない子ども達は,子どもが育つにつれて,正常になるんでしょうか? それとも,安心できる大人がいるところに引っ越せるのでしょうか? 私どもが知る限り,こういう子等は正常になることもなければ,引っ越しもできません。

 親から大事に育てられませんと,子どもが途方に暮れるだけじゃあありません。親自身が自身のトラウマを抱えていますから,自分の気持ちをコントロールできませんし,心豊かな慰めや見守りを,一貫して子どもにプレゼントすることもできません。

 

 

 途方に暮れている子どもは,途方に暮れている親の子どもです。子どもも親も,厳罰ではなく,心からの優しさ治療が必要です。

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#聖書の言葉 #単独者の恵み #キリストからのプレゼント

2020-04-14 07:21:40 | 聖書の言葉から
 



 
#悪い良心 さえ #仲間

 #聖書の言葉 #1人豊か #光の子 エリクソンの叡智: 生まれつきの,たった1つのニーズ     ホームを求めた内村鑑三   臨床は、オープンマインド  心の発達......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 

聖書の神様を

 

父さん

 

と大声で叫ぶ叫びこそ

 

キリストのスピリットが

 

人間のスピリットと馴染む中で

 

下さるものです

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