エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#実感のある人 と #分からんチン

2021-04-17 07:24:50 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#子どものやる気 と #自由な大人

 #気高い歓びを生きる と #陽気で楽しい歓びを生きるスピリット #世代を繋ぐ家族の新しい心の習慣 #日々の新しい礼拝 #3つの現実の一致 #新しい新約聖書 聖......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  
  ① EnpediaをGoogle検索
  ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業、でしょう】が施されています)
をご参照ください。

 
 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
 p.124,ブランク後の,発達トラウマ障害治療の核心部分の,2度目の翻訳も終了。
 p.219の3行目から。

 

 

触れ合うと、自分が実感している実感に従って生きる身体を生きることが出来ます。

 

 

 逆に言うと、人の気持ちが分からんチンは、実感と触れ合いが決定的に足りません。

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#本音(裏)と #建前(表)

2021-04-17 07:05:17 | エリクソンの発達臨床心理
 
#あなたの感じは?

 #人の気持ちが分からない #EMDRの名人 #最短記録 #歓喜の人 素敵!!  が生まれる瞬間    クローズアップ現代とインタヴュー   人間の知性は無限?......
 

 

「発達トラウマ障害  Enpedia」
  ① EnpediaをGoogle検索
  ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業,です】が施されています)

 をご参照ください。

 Childhood and Society  p.78から、今日はp.79、2行目から。

 

第2の舞台で,第2の生き方(分かって、飲み込むこと)が、最初の場で当たり前になります。このように舞台Ⅰから舞台Ⅱへの対角線上の前進は,上向きで、右(正しいこと)へと向かいます。ここで前進とは、子どもの生きる力が、2番目に心響く生き方に力を与えます。2番目に心響く生き方は,いのちが一巡する中では,人と関わる新しい生き方、取るのを身に着けることになります。新しい舞台は、新しい身体部位とその働きを始めるためにあるんではなく、ますます水入らずで、ますます2人がピッタリと、心響く生き方を身に着けるため、人との間におられるキリストを、聖書の神様が示すパラダイスを共に生きるため、にあります。

 

 でも、この心響く生き方を身に着ける前進が妨げられ、急かされ、立ち止まらされたりしたら、どうなるんでしょうか? 心響く生き方を身に着かない血迷いが、横の関係でも、縦の関係でも、心の地図にあります。横の関係の血迷いは(Ⅰ₁~Ⅰ₂)は、続きの舞台に急かせ過ぎることに応じています。赤ちゃんの口は、落ち着いて飲み込めず、きつく口を閉じてしまいます。縦の関係の血迷い(Ⅰ₁~Ⅱ₁)は、満足できるやり方にしがみ付くことに現れます。横の関係の血迷いは,結局、いつも「ケチな」やり方に囚われることになります、つまり、様々な身体の動かし方でも、最初のケチな快感に拘ります。縦の関係の囚われは,「欲しがる」生き方に囚われることになります。つまり、様々な身体の動かし方で、欲張りになるんです。ケチがいつも「欲し」がります,口も五感も欲しがるし、他の口も手も態度も欲しがります。この種のケチは、のちのち、あらゆる生活部面に沁み渡ります。

 しかし、この舞台では、一番心優しいところでも、赤ちゃんがトラウマを避けて通ることができません。第2の舞台は最難関なのは,赤ちゃんは幼すぎですし、この舞台の困難が多方面に渡るからです。第2の舞台が最難関だと呼んだのは、内的な促しが創造の展開となること、腑に落ちて分かる力、歯が生えること、歯が生えるのが離乳や母子分離の時期と重なること、です。お母さんは仕事に戻ったり、また妊娠したり、仕事復帰と妊娠が重なったりしますしね。

 第2の舞台が最難関なのは、赤ちゃんの世界に「善」と「悪」が入るからです。第1の舞台の、自分自身と人間を根源的に信頼する信頼が揺り動かされなければの話しですが。根源的な信頼を揺り動かすのは、繋がりを失った中で生じ、いつでも湧き出てくる、激しい怒りもうダメだという想いです。もちろん、赤ちゃんがどう感じているのか知る人は不可能ですが、それは、歯が「内側から穴が開く」のと似ています。虫歯になると、それまでは歓びの場、歓びの中心だったのに、歯のせいで緊張したり痛かったりすることから来る自分を傷つけるのが嬉しいマゾは、強く噛み締めることだけが楽にしてくれるものです。強く噛み締めることだけが、緊張や痛みを和らげることは、育つ時に人との間に本音(裏)と建前(表)を作り出してしまいます

 

 

 バラバラの初めです。

 赤ちゃんの世界に「善」と「悪」が入るからだけではありません。

 人との関係の中で、人との間に本音(裏)と建前(表)が入るからでもあります。

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#輝く瞳

2021-04-17 06:33:52 | エリクソンの発達臨床心理
 
#悪にホッとする私

 #ルター #キリストを魂に戻した人 #スピリットを思い通りに生きる #中動態 #世代間の争いの目的 #治療的礼拝を創造する #光 #息がピッタリ合う #没頭し......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
 ① EnpediaをGoogle検索
 ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
 の二段階の検索が必要です。
 (Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業、です】が施されています)    
をご参照ください。  

Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。
 第4節「毎日礼拝の復権」も、終了。
 第Ⅲ部の2章目、「夢を映し出すスクリーン」は,日常生活のいまここにキリストの光があることから、陽気で楽しい歓びの中に新しい見通しが生まれまることを教えてくれました。

 今回は,p.139「アインシュタインの謎解き」から。
 今朝は,p.142の第4パラグラフ、最後から。
 


 ジェラルド・ホルトンが最近の著作の中で私どもに悟らせようとしているのは,理論を叩き上げた、アルベルト・アインシュタインの業績の中で、見通すことがとても大切だった、ということです。興味深いのは,アインシュタイン少年が、熱烈な積み木好きだったことですし、ジグソーパズルの達人だったことです。しかも、アインシュタイン少年は、多くの子ども達と異なり、話をするようになることには、あまり関心がなかった、ということです。アインシュタイン少年が、お父さんから手軽なコンパスを貰った時に試していたのは,「ワンダー」と呼んだことでした。この遊びは,アインシュタイン少年が繰り返し振り返った実験でした。それがアインシュタイン少年の真実の遊びだったんです。
 ホルトンが,大事にしていることで,本当だなぁと思うのは,「実験室」(最高の恵みを得る場でしょう)のアインシュタイン少年は,外国語で赤点を取ったのは、1895年、チューリッヒ工科大学の入学試験に失敗し、学校に戻らざるを得なかったのとピッタリ同じでした。その時初めてアインシュタイン少年が気付いたのは,偉大なペスタロッチが100年前に見つけ、ベスタロッチの人を育てるヴィジョンを受け継いだ心の学校でした。ペスタロッチの教育方針は,ドイツ語のAnschauung 「触って見る」、すなわち、自分も生きるのに人とビッタリ息を合わせて人も生かすモノの見方が、学びの絶対的な基盤としたことでした。その上で、全てはアインシュタインにとって、違ってきました。そのおかげで,最後は相対性理論にまで導かれることになる、アインシュタイン独自のものの考え方を勇気づけましたし,アインシュタインは心から仲良くなることに新たな価値を見出しました。
  
 想像するものは、アインシュタイン少年にとっては,見通せる感じが強烈にあるモノでした。想像したものは,まるでジグソーパズルを組み合わせる遊びみたいに,自然に、しかも、陽気で楽しく歓びながら、繰り返し作り出し、ああでもないこうでもないと組み合わせるものでした。キーワードは,Bild(イメージ)とSpiel(遊び)です。Bild(イメージ)とSpiel(遊び)に注意していれば,アインシュタインが書いたものの中では,Bild(イメージ)をSpiel(遊ぶ)とアインシュタインが感謝感激感動しているのが分かります。
 
 人生の終着駅に近づくと,アインシュタインが来し方を振り返って気付いたのは、相対性理論に幸運にも思い至ったのは,子どもらだけが不思議に思う時空に関する問いを忘れなかったからだ、ということでした。それで、アインシュタインが1945年に事細かに述べていますね。
 
 魂の視点で見ると,(確実に)2つを1つにする遊びこそ,創造をもたらす想いの欠くべからざる特徴です。しかも,言葉や他の記号で論理を組み立てて,何らかの結びつきが出来る前に,2つを1つにする遊びです。このように述べた要素は、私の場合、見るものであると同時に,力仕事の様でした。型通りの言葉や他の印を,苦労して探さなくてはならないのは,第2の発達の舞台だけです。この第2の舞台では,スピリットに「心を繋げる2人の心を1つにする遊び」こそが,聖書の神様のいのちの結界で,確かに生じますし、日々自由に心を繋げる2人の心を1つにする遊びが生まれます。
 
 これに、アインシュタインは、自伝に書き加えています(67歳の時に書かれたものです)。
 
 この人は、どんな権利があって、この厄介な領域の中の様々な思いを、大事なことを証明しようと努力することもなく、思いがけず、素朴に扱っているんだろうか? と読者の皆さんは問うでしょうね。私の言い訳はこうです。「私ども人間の思考はすべて、分かることと自由に遊ぶことだから。」 分かることと自由に遊ぶことが正しいのは、いろんな感じをざっと眺めるのが正しいからです。感じることがあるおかげで、見通しが得られるんです。
 
 「見通しsurvey」とここで翻訳した言葉は,ドイツ語の「uebersicht 俯瞰」、「全体を見渡すこと」で、広い水平線を自由に見渡す、という意味です。俯瞰すると、私どもは、Anschauung 「触って見る」という,創造のお母さんを振り返ることが出来ます。Anschauung 「触って見る」のは,聖書の神様のいのちが一巡するのをいのちの家で見る見方です。

 いのちの家で聖書の神様のいのちが一巡するのを見る見方は,間皆兄弟に三昧になることだけが、創造する聖書の神様が宇宙を1つに結び付けることに心を回す見方なんです。しかし、聖書の神様のいのちが一巡するのをいのちの家で見る見方は、科学的な思いにも「聖書の神様のいのちが一巡する」ことがあることに光を当てています。しかしながら、「聖書の神様のいのちが一巡する」と呼ばれることは、もともと、ドイツ語の「Weltanschauung」ですし,語幹の「schauen」は翻訳しずらい言葉です。というのも、「schauen」は,心の中でものを「見る見方」であると同時に,光に意識的に心を向けること(訳注:光を意識して大事にし続けること とも訳せます)だからです。おそらく、「見守られて」一体になることがあまりにも気高いという実感が、一番の身近な思いに成りますから。ここから、これまで述べたことに向かうために、もう一度、アインシュタインの文書を引用しなくてはなりません。
 
 人は自分にピッタリな生き方で,世界(Bild der Welt)はウソのない明るいとこだというイメージを作りたいし,世に勝ちたいものでしょう、世界はウソのない明るいとこだというイメージに世界を変えることで。これは、絵描き、詩人、哲学者がそれぞれのやり方でしていることです。このイメージとそのイメージを作る中に、自分の気持ちを込めるんです。それは、シャローム平和と落ち着きを得るためです。人はささやかな結界を見付け、聖書の神様のいのちがグルグル一巡する人品が育つ体験が出来ます。
 人間の中心にあり、能動的に選択し、意識している、効果的で、外に開かれていない自分が一番恐れていること全てをグルグル」という一言で、2つを1つにするアインシュタインの生き方に心を止めて下さいね。その2つは、中心にあり、自分から関わるし、選び、気付き、力があり、包括的な自分が一番怖がるものです。新しい人が育つ見方が備えている力に関して,アインシュタインが注意しています。
 
 理論物理学が描く世界は、あらゆる可能性の1つです。理論物理学の描く世界は,関係を描く時,厳しく真実を求めます。ですから、物理学者は相手から自分を見なくてはなりません。「しかも、ウソのない出会いを描くんです。ウソのない出会いができるか、私どもは試されているんです。出会いが噛み合うように繰り返し組み立てるのは、ピタリと息を合わせ言葉通りに出来事になる場がなくてはなりません。「最高のいつくしみ、晴れ晴れとした感じ、確かな手応えがあります、自分を空っぽにできた恵みです
 
 最後にホルトンの指摘したのは、アインシュタインが「2つ」と遊んで1つになると見通す稀有な信頼です。2つとは、時間と空間、エネルギーと質量、慣性と重力、波と粒子です。アインシュタインは初めは自分の理論を「不変理論」と呼ばれました。この不変理論は、有名になることになっていましたが、しばらくは無名でしたが、相対性理論という繰り返し創造する見通しになるほど有名になりました。
アインシュタインが抱いた「2つ」と遊んで1つになると見通す見通しであり、文化的でもあり政治的でさえある、「2つ」と遊んで1つになると見通す見通しは、別の角度からも見ることが出来ます。2つが1つになることは、理論としては,宇宙に対する新しい見通しの芯です。この職人技がもろ手を挙げて善しとする、イメージも道も分かる者はほとんどいませんでしたが、専門家の言うことを信じるしかない多くの人にとっては、よく分からない見方でした。よく分からない見方は困りもののように見えました。というのも、以前の世の中に対する手堅い見方をひっくり返すように見えたからです。ナチスは、「2つ」と遊んで1つになると見通す見通し相対性理論を、ユダヤ人の見方だとバカにしますし、アインシュタインの考えを悪魔の思いと非難しました。また、ドイツの中にも、アインシュタインの見通しは、あらゆる「古典的」な見方にを超えた大局的な見方だとする、党派にくみしない科学者もいました。ですから、事実としてはありそうもないばかりか、邪悪な思惑があり、実に不愉快と思われていたわけです。この世界でアインシュタインが神様と仲良く神様に従っているみたいな顔をしていることを上手に説明できません(アインシュタインの眼は、この場では、Anschauung 「触って見る」、すなわち、自分も生きるのに人とビッタリ息を合わせて人も生かすモノの見方に溢れていますでしょ)。
 
 
 
 世間から非難され嘲笑されても、アインシュタインはヘッチャラ、その眼はAnschauung 「触って見る」、すなわち、自分も生きるのに人とビッタリ息を合わせて人も生かすモノの見方に輝いていましたでしょ。
 
 輝く瞳が光の見通しを物語るのでしょうね。
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#聖書の言葉 #苦しむ神

2021-04-17 05:56:59 | エリクソンの発達臨床心理
 
#安心できる社会へ #あ母さんも助けてほしい #国民を粗末にする社会から

  #ルター #キリストを魂に戻した人 #スピリットを思い通りに生きる #中動態 #世代間の争いの目的 #治療的礼拝を創造する #光 #息がピッタリ合う #没頭......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をGoogle検索でご参照ください。
 ① EnpediaをGoogle検索
 ② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
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生きているのに
死んでいるあなたへ

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 

神様

 

 

人間を救える

 

のは

 

苦しむ神様だから

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#聖書の言葉 #響き合ういのち

2021-04-17 05:37:18 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #レンブラント

 #気高い歓びを生きる と #陽気で楽しい歓びを生きるスピリット #世代を繋ぐ家族の新しい心の習慣 #日々の新しい礼拝 #3つの現実の一致 #新しい新約聖書 聖......
 

 

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生きているのに
死んでいるあなたへ

今朝も,鈴木秀子さんの言葉から。

 

 

お互いの

 

生命

 

 

共鳴している

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