エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#不思議なトラウマ #聖書の教え通り

2024-10-14 12:13:55 | ヴァン・デ・コーク教授の『トラウマからの解放』
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healinないof trauma 『粗末にされたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 
今日は,p.18から。


とっても辛い痛みを自分にもたらすトラウマそのものが,どういう訳か自分が生かされている意味の唯一の源泉になるのです



 何故なんでしょうか?
 それを考える時,聖書の教え「わたしは弱いときにこそ強い」(Ⅱコリント12・10)という決まり文句が,意味を持つのです。
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#ムカムカニッポン人 #イライラニッポン人

2024-10-14 11:28:56 | エリクソンの発達臨床心理
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。

Childhood and Society 第3章  p.153 6まとめ から。

 
 
      6 まとめ

 スー族のインディアンは,トラウマを負わされる条件下で,仲間の一体感が最後に実現した実感を,失っていました。白人が来るまで、スー族のインディアンは,戦闘的な遊牧民であったし,バッファロー猟師でした。バッファローは,侵略した白人によって,虐殺されて,消滅しました。そこで,スー族のインディアンは,わが身を守るために戦士になり,負けました。スー族の男たちはまた,バッファローを込むのではなく囲い込むのではなく,歓んで牛を囲い込み,その牛は取り上げられました。スー族の男たちは定住農民にもなれたのにね,病気になり,やせた土地しか与えられないけれども。
 このように,スー族のインディアンは,仲間と共に一心同体になる基盤を,少しずつ失っていったんです。それと共に仲間と共に紡ぐ善さの泉も失ったんです。仲間と共に紡ぐ善さはまさしく,そこから,一人びとりが 隣人を必要とする者の仲間になる (訳註:キリストと同じ)下から見る視点を引き出すことになっています。
 飢饉を恐れるあまり,スー族のインディアンは,仲間と育て合うことを、征服者に明け渡してしまいました。連邦政府の援助は,条約上の義務どころではなく,その必要性がずっと続きました。さらに,連邦政府の援助は,ますます,貧困者救済の形になっています。同時に,連邦政府は,古いイメージと新しいイメージを1つにすることもできずに来ましたし,正しい振舞の点でも,共に居る点でも,良心の種を植え付けることもできませんでした。私どもが主張していることは,子育ては,新しい子育てが腑に落ちて避けられないと納得できるまでは,文化を1つにする敏感な体系として 以前の子育てのやり方が維持される ということです。
 インディアンの教育の課題は,実は,子育てのぶつかり合いの問題です。すなわち,自由に起業する仕組みにある中産階級を代表する 雇われ人たち と 連邦政府のおこぼれを頂戴しながら,恵まれない体制の中に身を置かねばならないインディアンの残りの者の 子育てのぶつかり合いの問題です。
 事実,子育ての昔の指針は,スー族の残りの者に生きていて,白人の子育ての視点に共に立つ事が出来ません。スー族の人たちが仲間になる育ちの指針は,若い時分は,子どもは大人からの干渉を受けない者として許されるべきだ,ということです。スー族の親たちも,大人からの干渉を受けない子目の敵にすることもありませんし,わがままな男の子を悪く言うこともありません子どもの習慣について,あれこれと非難しないんです。その間に,子どもは,自分と身体のやり取りの仕組みと 自分と 子どものころの自我が根付いた仲間とやり取りする仕組みとを 伸ばせます。身体が強くなり,自己信頼が出来た後になって初めて,皆の意見によって,容赦なく恥をかかされます。皆の意見は,身体の心地よさや空想よりも 実際の仲間内の振舞を大事にしますから。その子も,弾力性の高い伝統に組み込まれます。弾力性の高い伝統は,厳格に伝統的なやり方で,その子が仲間を作るニーズを世話しますし,危険な本能的な流れは,外の敵に差し回し,罪責感の元になることは,超自然に投影できます。スー族の人たちの弾力性の高い伝統が,歴史的変化という厳然たる事実を前にしても,如何に堅固なものか,私どもは判りました。
 反対に,西洋文明の支配層の人たちは,ここでは,官僚制に代表されますが,一番幼いころの働きや衝動を上手にコントロールすることが,のちのち,社会の中でうまく立ち回れるための一番確かな基盤だという確信を頼りにしています。西洋文明の支配層の人たちは,赤ちゃんや幼子の感受性の強いうちに,決して黙ることのないメトロノームのように,やらなくてはならないことを植え付けます。それは,自分の身体との最初の経験自分の眼の前の人たちとの最初の経験とに 折り合いをつけるためです。ルーティンを有無を言わされずに叩き込まれた機械的に仲間になった者は,武骨な個人主義になるように励まされます。子どもは、野心をもって努力しますが,強迫的に,皆似たり寄ったりの仕事にとどまるものです。この皆が留まる,似たり寄ったりの仕事は,経済がますます複雑になった今,ますます創造の肩代わりになりがちです。このように展開した専門化によって,西洋文明は機械化を成し遂げましたが,表からは見えない際限のない不満と,生きる意味の喪失に立ち至っているのです。


 
 決して黙ることのないメトロノームの呪い。
 ニッポン人は,機械のリモコンに囲まれていても,言葉にならない不満でムカムカしていますし,生かされている意味が分からずにイライラしています。
 ニッポンは,空恐ろしい国です。
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#trustの非常に貧しい人 の #思い出

2024-10-14 10:47:45 | エリクソンの発達臨床心理
「発達トラウマ障害 Enpedia」 
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
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としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p.92のブランクから。

  幼子の時期 と 良し悪しが判ること
  言葉 と 善悪の境界線

 人間関係の第2の根っこになる要は,「judicious 良し悪しが判る」と申し上げるのが一番いいと思います。なぜならば,judicious 良し悪しが判る」という言葉は,ラテン語の「jus」(正しい)とラテン語の「dicere」(話し言葉)を組み合わせているからです。ユーロック・インディアンの食事の毎日礼拝で判ったことは,どう振舞うのが善いのかを示すお手本です。どう振舞うのが善いのかを示すお手本は,「いいよ」と「だめ」という話し言葉と声色で示されるのは間違いありません。「いいよ」と「だめ」という話し言葉と声色によって,善悪,浄不浄を「見分けること」は,本当の自分が育つ中で確立されますし,眼に見える成文法のみならず,内なる良心の声にも立ち返ることになります。なんやかやで,judicious 良し悪しが判る」ということは,いつでも人間らしい礼拝では,欠くべからざることになります。と申しますのも,須く礼拝すべては,最後の審判に至るまで,絶対的に,良しとされる者良しとされない者峻別する からです。
 この2番目の親身な関係になる毎日礼拝が私を育てる源は,人生の2番目の舞台にありますが,対人関係で「自分ならではのやり方」が急に育つことに特色がありますね。ハイハイし,しまいには,立つ力が付きますから,自己信頼が育って,それまで許されなかったことにチョッカイを出したくなります。もしも,最初の舞台に,すなわち,赤ちゃんの舞台には,「誰も奪えない希望」の土台があるとすれば,第二の舞台,すなわち,幼児期前半 に根っこがある 生きる力は,「歓んでやる意志」だと考えますね。知的に育ち,筋肉や運動も育って,世話をしてくれる他の人たちとの関わりも増えて,条件さえよければ,自分が歓んでやる意志」を示したり,歓んでやる意志」を示せるし,示しても善いと判る事が,とっても嬉しくなります。ですから,これが,歓んでやる意志を示せる自由に夢中になる人間の気高さの元になります。歓んでやる意志を示せる自由は,自分の言い分の正しさを競う舞台に 様々な判断が一致するかを確かめる 毎日礼拝を探し求め,毎日礼拝において試練を受けます。しかしながら,真っすぐに立つと,人はあらゆる角度から見られますし,背後からも見られることになります。背後は,自分の目が届かないところでしょ。2番目の舞台で身に着ける オートノミーこそは,私は,頑固さから生まれて、内省によって軌道修正した意思のある,1個の人間だ,と感じる実感です。そのオートノミーも,目上の人たちに見張られて,自分がいろんな名前,獣の名で呼ばれているのが判り,限りがあると気づきます。もっと悪いのは,私ども人間は,を感じ,皆から見られますと顔が赤くなることです。ですので,笑われたくないので,自分を見つめることが身に付きますし,自分を客観的に眺めて,自分の善し悪しを決める人の見方に自分を合わせることも身に付きます。しかし,こうなりますと,心の中に自分を見張る自分が育つことになりますよね。この自分を見張る自分は,フロイトさんが言う超自我,すなわち,残りの私を,立って見守る私ですし,嫌いな私を見るように仕向ける私です。こうして,私ども人間は,自分は劣等生で,悪者と,自分を見下すようになりますし,そうなれば、罰せられないとホッとできない冷酷さで,自分を見下しがちになります自分を見下しますと,自分を見ると必ず,まるで蛇を見下すように,人を見下すようになります


 以前、短大や専門学校で,心理学などを講じていたときに,どんな科目でも,Eriksonのtrustの話をすることにしていました。人は信頼できる相手に出会ってはじめて,価値ある自分に出会える,ということです。「他者信頼 = 自己信頼」ということを判りやすく伝えるために,「『自分は信頼しているけれども、人は信頼できない』という人がいたら,その人の自分は,厚化粧して,鎧を幾重にも重ね着した自分であって,本当の自分ではありませんから」と。そうすると、激しい怒りを授業中にぶつけてくる生徒が何人かいました。そんな人は,ここでエリクソンが教えているように,人を蛇のように見下す,trustの非常に貧しい人と相場が決まっていましたね。
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#実りの地

2024-10-14 09:30:02 | 聖書の言葉から
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
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としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 


生きているのに
死んでいるあなたへ    
今朝は本田哲郎神父様の言葉から 


実りは

底辺から

マタイによる福音書 第13章1節~
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#バカとして生きる

2024-10-14 08:55:13 | 聖書の言葉から
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
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としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の、真実が大事。

生きているのに
死んでいるあなたへ    

リチャード・コートさん Holy Mirth ― a theolog of laughter の言葉から。
原著のp.64から。
本日も木鎌神父様の翻訳に筆者が手を加えました。


キリストを信じたとおりに生きる 者は

馬鹿げた創造力がありますし

桁外れの可能性に挑戦します
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