「発達トラウマ障害 Enpedia」
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それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p.92の第3パラグラフから。
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Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p.92の第3パラグラフから。
この2番目の親身な関係になる毎日礼拝が私を育てる源は,人生の2番目の舞台にありますが,対人関係で「自分ならではのやり方」が急に育つことに特色がありますね。ハイハイし,しまいには,立つ力が付きますから,自己信頼が育って,それまで許されなかったことにチョッカイを出したくなります。もしも,最初の舞台に,すなわち,赤ちゃんの舞台には,「誰も奪えない希望」の土台があるとすれば,第二の舞台,すなわち,幼児期前半 に根っこがある 生きる力は,「歓んでやる意志」だと考えますね。知的に育ち,筋肉や運動も育って,世話をしてくれる他の人たちとの関わりも増えて,条件さえよければ,自分が「歓んでやる意志」を示したり,「歓んでやる意志」を示せるし,示しても善いと判る事が,とっても嬉しくなります。ですから,これが,歓んでやる意志を示せる自由に夢中になる人間の気高さの元になります。歓んでやる意志を示せる自由は,自分の言い分の正しさを競う舞台に 様々な判断が一致するかを確かめる 毎日礼拝を探し求め,毎日礼拝において試練を受けます。しかしながら,真っすぐに立つと,人はあらゆる角度から見られますし,背後からも見られることになります。背後は,自分の目が届かないところでしょ。2番目の舞台で身に着ける オートノミーこそは,私は,頑固さから生まれて、内省によって軌道修正した意思のある,1個の人間だ,と感じる実感です。そのオートノミーも,目上の人たちに見張られて,自分がいろんな名前,獣の名で呼ばれているのが判り,限りがあると気づきます。もっと悪いのは,私ども人間は,恥を感じ,皆から見られますと顔が赤くなることです。ですので,笑われたくないので,自分を見つめることが身に付きますし,自分を客観的に眺めて,自分の善し悪しを決める人の見方に自分を合わせることも身に付きます。しかし,こうなりますと,心の中に自分を見張る自分が育つことになりますよね。このに自分を見張る自分は,フロイトさんが言う超自我,すなわち,残りの私を,立って見守る私ですし,嫌いな私を見るように仕向ける私です。こうして,私ども人間は,自分は劣等生で,悪者と,自分を見下すようになりますし,そうなれば、罰せられないとホッとできない冷酷さで,自分を見下しがちになります。自分を見下しますと,自分を見ると必ず,まるで蛇を見下すように,人を見下すようになります。人を見下すとき,「私は最低じゃない」と抗議することもできますし,「私はましな方だ」と言い張ることもできす。心の中に自分を見張る自分が育つことが,この第二の舞台で自分が育つことが,共に見ることに役立つことになります。その間,子どもの大胆な行動と,目上の子どもな大人たちが,他の人から見て「善いと思える」事と「善からぬと思えること」を区別する 大きな称賛や嘲る反対とがじゃれ合って,自分のできる限界に,陽気で楽しく挑戦します。たほう,この場の意味が発達して(言葉の意味が,人間を上下に分けるウソと途轍もなく強く結びついていますね),「いいよ」と「ダメ」という話し言葉によって支配された 限られた区別が 言葉の世界にまとめられたことと 一体になります。言葉にならないことは,名もなく,意味もなく,馴染みもなく,見慣れない「悪」となります。この限られた区別全てが,心理性的な「お尻」によって強い意味を満たされます。すなわち,出すと出さずにおくの生き方に役立つことが,特別な喜びによって,この区別全てが強い意味を持つようになります。最初は温かいものとして体験されるものは,第2ステージでは,正しいやり方で,正しい場所に,上手に出さなくてはなりません。排せつ物は,臭くて,ばっちく,毒かもしれないもの(とみんなが言うもの)のシンボルなんです。でもね,ばっちいものを,正しいやり方で,正しい場所に,上手に出しているうちに,その子は,自分の背中と,自分の下半身を,よそ者扱いすることになります。真っすぐに立つと,自分からは見えない後ろを,人にさらすことになります。子どもは,面目を失い,恥をかくかもしれないと 身に沁みて分かります。恥をかくのが最悪になりますと,下等動物の呼び名と共に,糞尿の呼び名が使われます。恥をかいて裸の自分が出ますから,見捨てられたと強く感じてしまいますし,しかも,自分が悪いのか,自分を悪く言う周りの人が悪いのか も分かりません。お返しに,目上の人たちも,この自分の善し悪しに漬け込んで,しかも,悪化させざるを得ません。
自分の善し悪しができると,その区別が固定し,他を裁く道具になりがちです。