「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 June 06 ,2019,横浜の心理臨床学会で,Perezさんのお話を聴いた関係です。
今朝は,p.103の,第5パラグラフから。
自分の身体と仲良しになること
発達トラウマに苦しめられている人たちが,その苦しみから自由になるのは,自分の身体が体感している五感に馴染み、仲良しになれた時だけです。オッカナイと感じるのは,いつもビクビクした身体の中で,暮らすことになりますから。怒っている人は、怒った身体の中で生きている、ということです。子どものころに粗末に育てられた人の身体は,リラックスできて安心と感じる術が見つかるまで、コチコチで,警戒警報が出ています。コチコチの身体を変えるためには,自分の様々な体感に気付いて,身体が周りの世界と自ら関わり合う術に気付くようにならなくてはなりません。身体のある自分に気付く,ということは,過去の(訳注:封印された)専制政治を終わらせる始まりです。
どうしたら,様々な感覚と感情がある身体内の世界に繋がり、展開していくことができるんでしょうか? 私が治療する時に先ずすることは,患者さんの身体の中にある感じにまず気付いて,それを書き出してもらうことです。身体の中にある感じと言っても,怒りや不安や恐怖などの気持ちではなくて,様々な感情の奥底にある体感,すなわち,プレッシャー,熱,筋緊張,チクチク,ガッカリ,むなしさ等です。もう1つ私が取り組んでいることは,リラックスしたり,歓んだりすることに関係する様々な感じを名付けることです。発達トラウマ障害の人が,自分の呼吸や身振り手振りを意識できるように手助けします。発達トラウマ障害の人には,「ご自分の身体の微妙な変化を意識してみてください」と申し上げています。例えば、胸の苦しさとか,お腹の痛みです。自分では「ヘッチャラです」など言っている出来事の話をするときに、発達トラウマ障害の人には、そういう苦痛が実はあるんです。
初めて様々な感じに気付くのは,とってもストレスですし,フラッシュバックになる場合もあります。フラッシュバックの時,人々は身体を丸めて、わが身を守る姿勢をとります。消化しきれぬままの発達トラウマ体験が,繰り返し身体に再現されますから,そのトラウマを体験した時の取った様々な姿勢を,繰り返し再現する人が多いんです。様々なイメージや様々な感じによって,患者さんたちは比留間圧倒されますから,セラピストは,患者さんたちが過去に近づくことによって,一続きの感覚や感情が,またトラウマを負わせずに済むように,収める様々な方法を熟知していなくてはなりません(学校の教員,看護士,警察官,恐怖に怯えた人たちを落ち着かせるのがとても上手な場合が多いです。と言いますのも,この人たちは,自分の気持ちや行動をコントロールできない人たちや,痛々しいまでに心乱れた人たちの相手を,ほとんど毎日しているからです)。
ところが,たいていは、エビリファイ,ジプレキサ,セロクエルなどといった薬が処方されてしまって,ストレスになる身体反応に対処する術を学びません。もちろん、薬って,様々な体感を鈍くするだけですし,不安のもとになっている様々な体感を解決してくれませんし,様々な体感を,厄介者から仲間にしてくれるわけでもありません。
人間は,困ったときに,自分を落ち着かせる一番自然なやり方は,くっ付くこと、タッチです。つまり,身体的に,性的に,暴力をされた患者さんたちは,ジレンマに直面することになります。発達トラウマ障害の患者さんたちは,死に物狂いでタッチが欲しいのに,同時に,身体が振り合うことが怖いんです。 頭は身体が様々な感じを感じることを,繰り返し学ばなくてはなりませんし,身体は心地よいタッチに踏みとどまり,楽しむように手助けされなくてはなりません。
ですからね,発達トラウマ障害の人は,タッチをしたい気持ちと、タッチを怖がる気持ちを抱くのは,身体と頭を繋ぐ腹側迷走神経複合体がうまくつながっていない場合が多いんでしょう。
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