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重い十字架 :発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、上手く出来ないことだらけまど・みちおさんの場合 日々を不思議な ”窓” から見続けた人生 今日は、まど・みちおさん。 私は「マハトマ」とお呼びしています。文字通り、「偉......
発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.176, 下から2つ目のパラグラフから。
しかし,いったん裁判になれば,「悪かった」「悪くなかった」を決めることと,証拠能力が最初でしょ。私は以前,12人の人を調べたことがありましたが,その人たちは,ヴォルティモア州バーリントンの,カトリックがやってる孤児院で,子どもの頃にひどく虐待されてきた人たちでした。この人たちは40年以上後になってから,たくさんの他の被害者と一緒に,「自分も被害者です」と申し出たんです。しかも,最初の訴えが受理されるまで,誰も他の被害者とやり取りしてたわけじゃぁないのに,皆さんが虐待された記憶は,驚くほど似てたんです。彼らは皆同じ何人かの名前を言い,女でも男でも修道者達がやらかした,特定のいくつかの虐待を指摘しましたし,そのいくつかは同じ日課でした。ほとんどの人が,ヴォルティモア教区からの示談の申し出を結局受けてしまいました。
虐待の被害者は,同じ修道士たちから,同じ虐待を受けていたわです。でも,それをなかなか言葉にできませんでした。また,虐待をしてきた修道士たちが悪い,と言う感じにもなれないみたいでしょ。
何故なんでしょうか?
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