渡辺和子さんの言葉も素敵ですね。
今日も女性の言葉から学びます。これも、お待ちかねだった人がいるみたい。金子みすゞさんの詩から(『わたしと小鳥とすずと 金子みすゞ童謡集』より)。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
自分を、人を、やさしくも、厳しい眼差しで見続けたであろう、金子みすゞさん。
ブルース・ペリー教授が言うような、ミラー・ニューロンの話を、金子みすゞさんが知っていたはずもありません。しかし、金子みすゞさんは、人が鏡のようになることは知っていました。経験的に、直感的に…。
しかも、人が鏡になるようになっているという事実を描いているようでいて、しかも、それだけじゃぁないでしょ。『旧約聖書』「詩編」の昔から、詩が歌であり、祈りであったように、この金子みすゞさんの詩も、祈りになっていますよね。
不思議ですね。
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