Insight and responsibility 『心の中の子どもを内省していると,それだけ,目の前の子どもに応答できますよ』p.152。第3パラグラフの最後の4行。
Young man Lutherで,エリクソンが,ルターが嫌がるかもしれないけれども,女性性を身に着けた,と言った,その女性性,正確には,母性性について,触れているところです。
女性が神様を信頼することは素敵なことだと認めるのって,悪いことをしているっと思わずに行動できる,って屁理屈を言えることにあるんじゃないですね。むしろ,神様を信頼していることそのものを生かすことでしょ。つまり,≪新しい人≫たちである子どもたちに,hope「たとえ困難があっても,希望を失わずに生きていく品性」をプレゼントできるからですし,と,trust「お母さんが当てになるのとちょうど同じくらいに,あなたは宝物のような値打ち物と信頼に値する大切な存在ですよ,という品性」を腑に落ちるように育むからでしょうね。
ここで,エリクソンが,子どものことを,チュードレン,とは呼ばずに,ニュー・ヒューマンズ,と呼んだのは,新約聖書の,4つのイエス・キリスト物語が終わったすぐ後に出てくる,パウロさんの手紙の一つ,「エフェソ人への手紙」第4章17節以下を意識していたからです。それは,イエス・キリストであると同時に,私どもひとりびとりの心の中にある,≪本当の自分≫が,いつでも,どこででも,≪新しい人≫として,経験することに決まっているからなんですね。そして,この≪新しい人≫である≪私≫は,あまりにも圧倒的なヌミノース,すなわち,畏ろしいほど溢れ返っているのに,不思議な静けさと透明な感じのする歓びが必ずありますから,イキイキ,ピチピチして日々を生きていけますね。
その歓びをプレゼントするのは,お母さん,あなたですよ。
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