私どもはいつでも、慈しみの母乳、その自分の分け前か、あるいは、分け前以上を分けていただけると期待することを許されているのですね。
Young Man Luther 『青年ルター』のp184のブランクの後から。
聖アウグスティヌスは、プラトン主義を包み込み、キリスト教化することによって、プラトン主義から教会を守りました。聖トマスは、中世において再興したアリストテレス哲学に対して、(聖アウグスティヌスと)全く同じことをしました。アリストテレス哲学は、アラブ人とユダヤ人の医学と神秘学によって、新たな知的装いをしていました。プラトン主義は、イデア志向ですが、聖トマスの業績を通して、自然の諸々の事実と諸々の力へ向かう、新たなオリエンテーションによって、広まっていました。神は、プリマ・ベリタス 最高の真理であり、最高善であるがゆえに、天地創造において、最初の計画者、最初の建設者として、自らを示しました。神は同時に、カウサ・カウサンス、すなわち、直接原因です。もっとも、人間は1つの カウサ・セコンダ、すなわち、第2原因ですから、この想像された世界のご計画の端くれとして、だれではなく、それと同時に、熟考者としても、理論家としても、感じる必要があります。
神学の難しい部分です。ようするに、神がすべてを作るけれども、人間には自由に振る舞える部分もある、ということらしい。それをどのように秩序付けるのか? という議論のようですね。
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