ジェームズの母親のマーレは、やっぱり、自罰的で他罰的な、悪い良心だったみたいですね
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.207、下あたりから。ブルース・ペリー教授が描く愛着障害と間違われた子どものお話が、続きます。
そこで分かったのは、医療スタッフは、マーレが連絡してくる時は、マーレのことをいつも疑っていた、ということでした。救急隊員は、市場にいたその少年を必死になって落ち着かせようとしましたが、マーレの方は、いたって落ち着き払って座っていました。おまけに、サイダーをちびりちびりと飲み、その子に対して抱いたヒスも心配もどこ吹く風です。その子が生きるか死ぬかの瀬戸際なのにもかかわらずです。病院では、ジェームズが山場を越えたという福音に接して、マーレは、「生命維持装置を子どもから外してください」と言うものだから、そう言われた医者もビックリです。救命救急室担当のある看護師は、マーレは医療機器を止めちゃうんじゃないのかな、と疑いました。ジェームズが意識を取り戻し、母親が眼の前にいないと分かったとたんに、ジェームズは病院スタッフに言いました、「ママはウソつきです、ママは僕を打つんです。お巡りさんを呼んでください」と。
ジェームズは愛着障害になっても不思議ではない環境にいましたね。私も愛着障害の子どもの心理面接を毎日のようにしてますでしょ。マーレさんほどのウソつきは、母親には少ないですね。母親に多いのは、ゴマカス方ですね。母親である自分が、真面に子どもと向かい合えていないことに直面することが怖くて、仕事やサイバー世界などに逃げ込んで、見ないようにするパターンですね。
マーレさんのようなウソつきが多いのが、残念ですが、教員ですね。「組織」のためにはウソも辞さない。大川小学校の親戚です。良心的で、真摯な教員も、少数ながらいますし、そういう教員とは仲良くしていますから、心苦しいのですが、「みなさん御一緒に」、「赤信号、皆で渡れば、怖くない」と、「組織」防衛のためにウソをつくわけですね。そういうウソの「組織」は自滅する運命であることを、歴史的に学んでいないし、そういう所で「NO」と言ったら、損をするので、自分が損するのが怖い。
子どもにとって、特に愛着障害の子どもにとって、最も大事なのは、その子どもとの関係に対する誠実さだと、気付きますように、と神様に祈っています。
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