ダーウィンがビーグル号に乗ったのは、まったくの偶然のようですね。医学の道に失敗しなかったら、ビーグル号には乗らなかったでしょうし、病気のために今少しで乗り損なっていたのですからね。でも、ビーグル号に乗ったおかげで、「自然淘汰の法則」というアイデアを、ダーウィンはもらったのでした。偶然のような必然です。
今日は、フロイトの偶然のような必然です。
フロイトはすでに30歳になっていた時に、単に環境によってそうせざるを得ないように駆り立てられていたみたいですが、神経学を生業とするようになり、自分の研究所で精神科診療をするようになったのです。彼は遅まきながら、医学の学位を得て、17歳で医者になる決心を取りやめて、医学研究者になる決心をしたのでした。彼の支払い猶予期間は、そのおかげで順序立てて学校教育を受けることができましたが、フロイトの特別な賜物と革命的な創造性を発揮するのを遅らせもしたのですが、(当時は、物理主義的な)生理学をやっていました。フロイトが自分の途方もない一生の仕事に、とうとう船出したとき、神経症の苦痛によって、さらに遅れるところでした。だがしかし、創造的な人には、選択の自由など全くありません。フロイトは自分の最高の仕事に出くわしたのは、ほとんど偶然なのかもしれませんね。いったんその仕事に取り組むや、自分の仕事とすることが、同時に、自分の一番根深い葛藤、卓越した物事を識別する感覚、頑固なほどの一途な思いと、深いところでつながっていることがわかりました。フロイトは、病気や失敗や狂気を自ら招いたのは、まさに、既存の世界が自分を押し潰すのか、それとも、既存の時代遅れの基盤をぶち壊して、新しい基盤を作り出す余地をこしらえるのか、そのどちらを選ぶのか、吟味するためだったのです。
その結果は明瞭です。いままでの「常識」をフロイトは覆して、新しい世界観の基礎、人には「無意識」という、通常意識でコントロールできない部分が猛烈にありますよ、という、まったく新しい視点を、もたらしてくれたのです。
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