礼拝は民主主義に似ている。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p46の第3パラグラフから。
第2(肛門と筋肉の)舞台と第3(幼児性と運動の)舞台の大事な礼拝を、(もっと短く)特色付けることにしましょう。第2の舞台で問題になるのは、わがままな悦びが、筋肉系(括約筋も含みます)の働きに伴い、その文化圏の倫理とぴったり合うような行動パターンに、どのようになるかか、ということですし、このことが、子ども自身の意志となる、1人の大人の意志によって、どのように、そうなるのか、ということです。赤ちゃんの礼拝では、注意することと避けることは、親の責任です。しかし、第2、第3の礼拝では、子ども自身が、「自分を監督」するように躾けられなくてはなりません。それは、何ができて、何ができないのか、さらには、何ができることではなくて、何ができないことでもないか、ということに関しての話です。
第2、第3の礼拝では、わがままは許されませんから、それが倫理と合うようにするのが課題になりますよね。それは、大人の意志に合うようにすることとも重なります。しかし、それをどのようにそうするのかで、結果は天地の違いが出てくるところに注意が必要です。
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