ルターの敵は、周りにも多かった。でも最大の敵は、「内なる敵」でした。
Young Man Luther 『青年ルター』p203の第2パラグラフ下から12行目途中から。
ルターは「いいよ」と認めてもらおうとして、自分の強迫的な良心を嫉妬深い父親から解放し、また、自分の考えを中世神学から自由にしたおかげで、この新しい洞察を、神様が誰にでも分け隔てなく下さる施しに当てはめることを、心理学的に言えば、ルターは、くすぶり続けた深ーい憎しみがあったればこそ、本物の黙示録的な、最終的解決(を深ーい憎しみにもたらし、神様から「いいよ」と認めてもらうこと)ができたんだ、ということでした。
深ーい憎しみをいだいたなら、自殺するか、秋葉原事件のような事件を起こすことにもなりかねませんね。いまは、そんな危険な傾きを示す子どもがゴマントいる時代なんですね。別に脅かす訳じゃぁない。子どもをよくよく見ていると、そんな子が次々見えてきますもんね。一見大人しそうにしているけれども、気持ちを繰り返し我慢して、我慢していることも忘れているかに見える子です。でもなんかヘンという感じの子。
でもね、ルターはその深ーい憎しみを解決して、本当に「天にも昇る悦び」を体験したんですから、それ自体、福音でしょ。
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