小学校の1年生。体育館でのスポーツ観戦の時に、「遊びのオジサン」である私も、1年生と一緒に観戦してました。事情は分かりませんが、クラス全体で座る位置が少し動いたんですね。そしたら、すぐに動ける子と、そんなことになっているとは知らずに動かずにいる子が出ます。知らない子どもは、動いた子どもに押されることになって、その隣の子にも身体がぶつかります。そして、「小さな事件」が起こります。
ある女の子が不満気に言います「○○ちゃんがぶつかってきたのに、謝らない…」。でも、その「ぶつかってきた子」も、お隣の子がぶつかってきて押されたんで、「自分だけが悪いんじゃぁない」と言いたげだけれども、口実が上手などこかの政治家みたいに、言葉にできないから、黙っているだけ。なるべく、不満げの子を見ないようにしているけれども、そっちを気にしてる感じ。そこで「遊びのオジサン」は、ぶつかってきて謝ってもらいたい子と、自分も押されたんだから、痛い思いもしているのに、自分だけが謝るのが嫌な子との間に入って、「じゃぁ、オジサンが、代わりに謝っちゃおうかな」と言って、「ぶつかって、ごめんなさい」と言ってみた。だけど、ぶつかってきた子に謝ってもらいたいのに、「勝手にオジサンが謝ったって、私は許さないんだから」と言わんばかりの女の子の不満げな表情です。でもね、「痛かったから、ビックリしたし、悲しかった」というその不満げなとは別の、もう1つ気持ちにも、ちょっぴり触れたみたい。その子は泣き出しました。その「ビックリして、悲しかった」気持ちが表現できたんです。オジサンは「良かった」と思いました。たとえ、不十分だったとしてもね。ですから、マハトマ・まど・みちおさんみたいに、「涙って、素晴らしいね」と繰り返し言ってみました。ぶつかっちゃった子も謝りたくないので、きっとホッとしたはずです。これでめでたしめでたし、と思ったっけ。
そこに担任現れる。「もう大丈夫ですから(オジサンは関わらなくっていいですよ)…」、「ぶつかったら、謝ります、ルールですから」という訳です。ホッとしたばかりの、ぶつかっちゃった子は、たまらず泣き出します。そりゃそうですよね。ホッとした瞬間に頭をガツンとやられたようなもんですからね。私はその担任に間髪を入れずに申し上げました。「ルールを当てはめるんじゃぁなくて、子どもの気持ちを丁寧に聴かないとね、そうしないと、子どもの心に傷が残ります」とね。その女性の担任は何も言いませんでした。ただ、さっきオジサンが代わりに謝った女の子以上に不満げです、不安げです、その担任が。私は2人の泣いた子が、落ち着くのを待ってから、その場を離れました。
1年前のフロムの言葉。
「≪真の関係≫の神髄は、何かのために「損をする」ことですし、「何がが成長するのを助ける」ことだ、ということです。≪真の関係≫と「損すること」は切っても切れないものなんですね。≪真の関係≫は、自分が損しても係るのは、相手のためですし、自分が損しても係るのは、その相手と≪真の関係≫があるからなんです」
この「損をする」とは、「時間をプレゼントする」「そのゆとり、その遊びを作る」という場合が、実に多いんですね。ですから、今日申し上げたような「小さな事件」に「時間をプレゼントするゆとり、時間をプレゼントする遊びが大事」という訳ですね。面白いでしょ。
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