エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人格的真理が反発を喰らう時

2016-01-18 02:20:22 | アイデンティティの根源

 

 

 
20年前の1月17日 改訂版
  20年前の1月17日。読者の皆さんは、どこで何をしていましたか? まだ生まれていない方もあるかもわかりません。 私は、その前日、米沢興譲教会の田中信生先生...
 

 エリクソンは、ルターとフロイトと、≪祈りの人≫として、深い共通点があります。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.252の第2パラグラフま、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

ルター博士とフロイト博士は2人とも、それぞれの時代に呼ばれた偉人ですけれども、昔から反発を喰らい、今でも反発を喰らうのは、敵から、ばかりではなくて、友達からも、でした。その友達らは、2人の考えには同意しておきながら、キルケゴールが心理的・道徳的な努力という、あの奮闘、と呼んだものを持ち合わせてはいませんでした。

 

 

 

 

 キルケゴールがここで言う「奮闘」とはどういうことか、ちょっと調べましたけれども、ちょっと調べたくらいでは分かるものではありませんでした。エリクソンの文書を読んで分かることは、ルターとフロイトの友達らは、それぞれの考えに賛成とは口で言ってても、彼らの考え方に従って生きる、という奮闘はしなかった、ということでしょう。すなわち、≪言ってること≫と≪やってること≫が分裂している人たちからは、たとえ友達でも、反発を喰らう2人だった、ということと考えて、間違いないでしょう。

 ルターとフロイトが言った考えは、頭で分かればそれでお仕舞いな科学的真理ではなく、人格的真理です。生きてみなければ、分からないのが人格的真理なんですね。ですから、実際にその人格的真理を生きてみる、という「奮闘」をしない者には、人格的真理は、反発されるのが世の常ですね。

 

 

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