加藤周一さんによれば、日本人はその1000年以上の歴史の中で、集団を超える≪超越≫に関わったのは、鎌倉仏教くらいだ、と言います。しかも、彼岸は、基本的にはない。「お彼岸」も、死んでからも、人は所属集団の「外」には出ないのが基本です。
すると、集団の中で誰が「上」で、誰が「下」か? ということが極めて重要な社会秩序になります。今の日本の大学人は、真理への畏敬のある人が絶滅危惧種だと、昨日このブログの書きましたでしょ。真理への畏敬も、所属集団を超える≪超越≫ですけれども、大学人でさえ、それを知らない。だから、自分のメンツ以上のものを知らないんですね。ですから、メンツにこだわる悪臭がするんです。そうすると、もろに、「人間を上下2つに分けるウソ」の猛毒にやられちゃう。これは無意識裡に猛烈な力で働くものですから、悪臭を放っていることにも自覚がなくなりやすい。大学人でさえ、内省する人が少ない。
その点、ノーベル賞を取られた、益川俊英教授が所属した名古屋大学の坂田昌一教授のN研。坂田昌一教授には、真理に対する畏敬がありましたから、「教授でも大学院生でも、議論においては対等」ということで、民主主義的な議論に議論を重ねましたよね。そういうところから、「人間らしいヴィジョン」に伴う、大きな発見があるんですね。
私どもは、そういう意味では、≪超越≫が、いつでも何度でも必要不可欠ですね。
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