信頼は、やり取りの中で必須事項。欠くことが出ません。信頼があるからやり取りが成立するんですね。
p114第2パラグラフ。
同じ意味で、自分自身を信頼しています。私どもは「本当の自分」、すなわち、人格の核があることに気づいています。その人格の核は、心変わりすることもなければ、状況が変化しても、意見や気分が変化することがあっても、生涯不変です。この核こそ、≪私≫という言葉の背後にある現実です。ここにこそ、私どもが自分自身を確かにする基があるんですね。自分自身が一貫していることを信頼しなければ、自分は確かだという感じは脅かされますし、自分を肯定し、自分を確かにする気持ちの基になってくれる他者に依存することになります。自分自身を信頼する人だけが、他者に対して忠実でいることができるんですね。なぜなら、自分自身を信頼する人だけが、自分は現在同様、将来も、同じ人だと確信を持てるからなんです。だからこそ、自分自身を信頼している人は、自分が見通している通りに、将来にも感じ、また、行動することになります。自分自身を信頼することが、人と約束することの条件です。ですから、ニーチェが言うように、人は約束することができる能力によって定義できるから、信頼することこそが、人間が生きるための条件になるんですね。人を大事にするやり取りで大事になるのは、自分自身が自他を大事にすることを信頼することです。他者の中に、他者が当てになることの中に、人を大事にする気持ちを創り出す能力が、人を大事にするやり取りの中では大事です。
ここはまるで、エリクソンが書いている感じがしますよね。人を大事にするのは、自分自身を信頼している人だけ。
赤ちゃんの時に、お母さんから献身を繰り返し貰っている人は、確実に自分自身を信頼していますよね。でもね、今の日本には、これだけのウソとゴマカシが瀰漫していますでしょ。それは、その自分自身を信頼している人が、極端に少なくなっているからなんですね。お母さんたちも、いろんな事情で、忙しい。お母さん自身が、自分をなくして、自分自身を信頼していない。それから、お父さん。子育てはお母さん任せで、仕事に遊びに忙しい。会社で厳しいことを言われて、心乱される。会社では同調しなければ、生きていけない、と思い込んでる。お父さん自身も忙しい、同調に心奪われ、自分自身が死んでる。自分自身を信頼することなど、ずっと昔にどこかに捨てて来た。だから、ビックリするほどたくさんの子どもたちも、自分自身を信頼できずに、苦戦している。
自分自身を信頼する道。それは内省、自分自身と対話することにこそある。自己内対話。「単独之幸福」を見つけるしかないんですね。
皆さん、どうぞご大切にね。
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