エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉:  ἐπιούσιος,一日分の 

2017-06-08 07:24:11 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
自分の手で、将来は変えられるぜぇ!!
   ≪いまここ≫をホントに生きてる?   温もりと学び  見ることの三項関係 心はこの三つが結びついてできるものなのです 加藤周一のような...>......
 

 今日の聖書の言葉はἐπιούσιος,エピウーシオス,1日分の,です。 

 でも,その一日が,今日なのか,明日なのか,あるいは,一生の中の一日,つまり,一生なのか,わからないみたいです。用例が少ないのだそうです。

 実際,『新約聖書』の3番目のイエス・キリスト物語「ルカによる福音書」の第11章にあるくらいらしい。その3節。

主の祈り

11章 1あるところで祈っておられたときのこと、それがすむと、ある弟子がいった、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、われらにも祈りをお教えください」と。2彼らにいわれた、「祈るときはこういいなさい、
  父上、み名の聖まりますように。
  み国が来ますように。
  3その日の食べ物を日ごとわれらにお与えください。
  4われらの罪をおゆるしください、われらも加害者を皆
   ゆるしますから。
  われらを試みにおあわせなく」
と。

 前田護郎先生は,「その日の」と訳しているのが,ἐπιούσιοςです。

 一回しか出てこないのに,それが「主の祈り」という,一番人口に膾炙するする祈りなので,どう訳すかが問題ですが,先ほど辞書を引用しましたように,いろいろの意味があり,定説がないのだそうです。

 欲張りな人は,「将来の分,一生分をちょうだいな」といいたくなると思います。

 でも,欲がない方がいいらしい。その場合は,「せめて今日の分を,お願いします」ということになるのでしょう。

 聖書の大切な教えの一つは,「心配すんなぁ」(「思い煩うな」とやる場合が多いですが)ということです。だから,「1日今日の分を,お願いします」でお願いしても,「明日の分も任せない」というのが,神様の応えではないかなぁ,と想像します。

 あなたは,「今日の分」,「明日の分も」,それとも「一生分」?

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