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今朝の聖書のことばは,見る です。
聖書には,数えくれないくらい,見る という言葉が出てきます。人間にとって,見ることがとても大切だからだろうと思います。目が不自由なことは,とても大きなハンディキャップになりますでしょ。
イエスにとっても,見る,ことはとても大事なことだったらしい。
たとえば,イエスは,のちに「使徒」と呼ばれた人たちを集めた時に最初にしたのが,見る ということでしたでしょ。『新約聖書』の二番目のイエス・キリスト物語「マルコによる福音書」第1章14節から。
「伝道のはじめ、最初の弟子
14ヨハネが捕われてのち、イエスはガリラヤへ来て神の福音を説いていわれた、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と。16ガリラヤ湖畔を行かれると、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのが、お目にとまった。」
イエスが弟子たちに最初にしたことは,見る ことでしたね。
また,イエスは,十字架につけられる直前,繰り返し,見る を大事にすることを弟子たちに伝えています。同様に「マルコによる福音書」第14章32節から。
「 ゲツセマネ
32彼らはゲツセマネという名のところに来た。彼は弟子たちにいわれる、「わたしが祈る間ここにすわっていなさい」と。33そして、ペテロとヤコブとヨハネを連れて行かれた。すると、おそれ、おののきはじめられた。34彼らにいわれる、「わたしの心は悲しみをこえて、死ぬほどだ。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と。35なお少し進んで地に伏し、できればこの時が自分を通りすぎるように祈って36いわれた、「アバ、父上、あなたはなんでもおできです。この杯をわたしからお取りのけください。しかしわが意でなく、あなたのみ心を」と。37それから来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロにいわれる、「シモン、眠っているのか、ほんの一時間も目を覚ましていられないのか。38目を覚まして祈りなさい、誘惑に陥らないように。心ははやるが、体は弱い」と。39それからまた離れて同じことばで祈り、40また来て見ると、彼らは眠っていた。まぶたが重かったのである。彼らは何とお答えすべきかもわからなかった。41三度目に来て、彼らにいわれる、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。よろしい。時は来た。見よ、人の子は罪びとの手に引き渡される。42起きよ、行こう。見よ、わたしを引き渡すものが近づいた」と。」
最後も,イエスは 見る ことを大事にして,また,弟子たちにも,目を覚まして,見る ことを繰り返し,薦めていますでしょ。
人間の立場に立てば,私どもは,神様から,見られている存在です。ニッポンでも,昔は「お天道さまが,見ているよ」と言いました。いまは,さっぱり聞きません。見られている神様が,閻魔様か,意地悪ばあさんだったら,震え上がるばかり,オッカナイことこの上ありませんね。でも,聖書の神様は,とても優しく,気前のいい神様です。見られていることがわかったら,こんなに嬉しいことはありません。ですから,きのう,「本当に,今ここを生きたら,嬉しくて嬉しくて,飛び上がるほど嬉しい」と申し上げたんです。
ですから,今日も,私どもは,見られている存在であることを忘れずに,目を覚まして,見る 1日でありたいものですね。
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