話し言葉、ダンス、マーチ、歌とじっくりと向き合うことは、希望と勇気という感じを心に刻み込む、人間らしいやり方みたいですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.335の第3パラグラフから。
動きの間を皆で合わせることに力があると分かったのは、デスモンド・ツツ主教が1996年南アフリカで、「真実と和解委員会」のための公聴会を開催するのを見た時ですね。この公聴会では、歌とダンスをやったんです。証人達は、語り得なかったいろんな残虐行為を物語りました。その残虐行為は証人たちとその家族を苦しめて来たものです。証人達が気持ちが高揚してどうにもならなくなった時、ツツ主教は、その証言を止めて、聴衆に、「祈りましょう」「歌いましょう」「踊りましょう」と呼びかけました。それは、証人達がすすり泣きを収め、崩れ落ちた身体を立て直すまで、続きました。そうすると、その人たちは、怖ろしかったことを再体験することに、行きつ戻りつを繰り返しながら、最期には、自分の身に起こったことを物語る言葉を見つけることが出来ました。ツツ主教とこの委員会の他のメンバー達には、猛烈に仕返ししたかったことを押し留める力があった、と私は心から思います。仕返ししたい気持ちがなくなることは、虐待や残虐行為の犠牲者たちが最終的に自由になる時には、よくあることです。
ここの件もお見事ですね。仕返ししたい気持ちから自由になるって、本当に難しい。犯罪被害者じゃなくても、犯人を許せない、という気持ちを収めることって、難しいでしょ。「重罰にしろ」「刑務所に行け」と言いたくなりますものね。
ツツ主教たちは、文字通り、真実と和解を実現していたのでしょう。仕返ししたい気持ちを押し留めることができたのですからね。
ですから、いつでも、真実が大事な訳ですね。ウソとゴマカシと薄ら笑いは、そのとき、一切無くなりますからね。
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