エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#不思議な驚き

2022-12-25 05:44:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#マインドフルネスのお役目

 #約束し合う2人 #子どもが大人に出す宿題  #スピリットを学ぶ習慣を身に着けてね #人間らしさ と #神の形 =  #心から優しい #オイコドメン #......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、

MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。

としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。

それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。

 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 

 p.41から。

 

 

  見て判る良い見通しを持つことになりますから

 

 

 このような積み木療法の事例を2つ並べたことが,心から自由になる者らの提案に、馴染もないし,納得してもいない方々にとって,どのくらい説得力があるかは分かりません。心から自由になる者らの提案とは,すなわち,人は,自分が口で話したこと以上のことを表現しているものだし,それは,意識して伝えるつもりのことを遥かに凌いでいますし,そういう意図せずに伝えた意味は,とても大事な意味があることが示されている場合がありますよ,と言うことです。ある神学者は,私のことを,人の歓びを台無しにする輩,と呼びましたっけ。それは、私が,子どもの遊びに,諍いや目的を見つけ出したからでしょう。それに,私も認めていますとおり,臨床などに関わるいくつかの理論は,子どもの遊びに,大きな役割を課しております「トラウマ」理論によれば,遊びは,かつてうまく対処できなかった経験を象徴的に繰り返して,受け身で苦しんだ体験を能動的にうまく出来た体験に変える結界に入れ込むことです。「カタルシス」理論によれば,遊びの中にいまここでの働きを見ます、すなわち,押さえつけていた気持ちをオープンにしたり,真面で役立つことに使えずに来た 有り余るエネルギーを自由に使えるようにするのが遊びだと見ます。それからまた,「機能」理論によれば,遊びは新しい機能の練習であり,将来に備えるものだと見ます。これらの理論は何れも、すべての遊びを網羅している訳ではありませんが,いずれの理論も捨てる気になれません。と申しますのも,これらの理論はすべて,人間ならどなたの思想と行動にも必ずある要素を指摘しているからです。私どもが 確かな遊びの場に,トラウマ体験との「和解」を認めるのなら,是非とも肝に刻んでおきたいことは,陽気で楽しいスピリットが働く場こそが,トラウマ体験を復活劇にしてくれる,と言うことです。このようなトラウマ体験が,気持ちを伝え合うニーズと 大切なことを告白しなくてはならないニーズによってさえ,司られていたとしても,陽気で楽しいスピリットのおかげで,自分を語ることが歓びになるんですよ。それから,もしも陽気で楽しい遊び育つ力を伸ばすことになるのなら,そうなるのは,気付いて手放すことができるからでしょう。陽気で楽しいスピリットのギフトが著しく限られている場合,すなわち,私どもが関わる子どもの患者さんには,よくあることなんですが,その子どもは,「遊びがバラバラ」と名付けたことに苦しめられがちです。しかしながら,1つの傷もない陽気で楽しいスピリットは,遊びに分類される出来事を豊かにするだけではありません。1つの傷もない陽気で楽しいスピリットは,イキイキ,晴れ晴れ生きるためにはなくてはならないものですから,どうやっても,定義することなどできませんが,とらえどころがない定義,プラトンが遊びは「ビョンと飛び跳ねること」だとした定義のみが例外でしょう。

 遊びがピョンと飛び跳ねることだと言うことについては,後程詳しく申し上げましょう。いまは,もう一度,積み木療法がスピリチュアルな創造になる ということ,すなわち,積み木療法の主たる特色にもう一度戻ることをお許しください。と申しますのも,遊びと呼ばれること,遊びに見えること,遊びみたいに感じることなど様々なことから,私どもがお示ししていることから,人間ならではの力の実例を目の当たりにしているからです。その人間ならではの力の実例は,人類の進化に基づいおり,しかも,子どもの頃に様々に空想するおもちゃの世界で育てられた人間らしさです。人間らしさとは,想像したイメージを結界の中で表現するのに欠かせない特別で象徴的な意味を帯びたおもちゃを使うことです。私どもの隣人のケースですと,こんな場面は,大人が誘導したものですから,完全に自発的とまでは言えません。結界の中ですから、私どもは,もう一歩踏み込んで(踏み込むのは後に譲りまずが),ここで起きていることは,日常生活を礼拝にする手順と呼んでいます。しかも,どなたでもご納得いただけると思いますのは,共に作った積み木の作品には,真実に陽気で楽しいスピリットが宿っている,ということです。真実に陽気で楽しいスピリットだけが,形の上でも中身の点でも,共に作った積み木の作品に,不思議な驚きをもたらします。

 

 

 別に狙って作ったものではありません。夢中で作っていたら,結果としてこんな作品になりました,という感じでしょう。

 何の話?

 それは,積み木療法や箱庭、コラージュなどの作品の話でもありますし,生き方の話でもあるやもしれません。

 真の創造には,必ず不思議な驚きがあります

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #ルターによるキリスト者の定義 | トップ | #ジレンマ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿