「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。
Childhood and Society 第3章 p.117 第2パラグラフから。
若くて、沸き立つアメリカの民主主義もインディアンとの平和を失ったのは,征服するのか、それとも植民するのか,同化させるのか、それとも、自由にさせるのか、明確なプランを立てることができませんでした。その代わりに,どいつもこいつも、「ああでもない、こうでもない」と心定まらない、そんな政治家に,歴史を任せてしまったわけです。次から次に心定まらない政治家が続きますと,一貫性がないことになりますから,インディアン等は,不安定ですし,悪い良心だと解した訳です。赤いテープは,政策の代わりになるものではありません。中央集権的な官僚制のヒエラルキーほど,民主的な思想と実際の行政の動きが懸け離れているとハッキリと示すところはありません。狩人が狩人を治めるスピリットの中で育てられ,独裁者にも,資本家にもなれただろう、古老のインディアンは,悪意のある目とまでは言わないけれど,物を見る目がありました。お役人の初期の頃の役割が、危険だが,やり取りのあるものだったとは思えません。しかし,お役人の中には人間性のみから,仕事を上手にするものもおりました。
ところが,子ども等に対するゲリラ戦争が続きました。この子ども等に対するゲリラ戦争によって,連邦政府による教育が始まって良かった、とスー族の古老が思い出すことになりました。場所によっては,「子ども等が事実上さらわれて,連邦政府が作ったインディアン寄宿舎学校に強制的に入れられて,断髪され,インディアンの服は捨てられました。この子らは,自分自身のことばを話すことも禁じられました。学校生活は,すべからく、軍隊式で,規律は体罰で強制されました。いつまでも昔ながらの生き方にこだわる者や寄宿舎から逃げ出す者は,捕まって,牢屋に入れられました。逆らった親たちも、牢屋行でした。なるたけ,子ども等は何年も何年も,学校に留め置かれたのは,子ども等の家族からの影響を削ぐためでした。」というところもありました。このような(訳注:人種差別的な同化をインディアンに強いるのが)当たり前の態度が1920年になるまで、完全になくなることはありませんでした。
この間,白人だけを良しとする同化政策によって,インディアンの人たちの想像力を蔑ろにしたので,着衣,態度,生活習慣,子どもの遊びまで変えてしまいました。それが、カウボーイです。1900年から1917年まで,スー族の人々は、決心して、家畜産業を興しましょう、そこで利益を得ましょう,ということになりました。しかし,ワシントンの連邦政府は,土地の浸食と中西部の肉牛業者が大きな力があることに気付いていましたから,スー族の人々は,スー族の人々に割り当てられた居住区では,カウボーイに成れないと認めざるを得ませんでした。スー族の人々が,当時仲間を急速になくしていたわけですが,仲間を失ったことと,スー族の人々をケチな浪費家にしてましった,,仲間を失った後に来た土地投機とは,心から自由になる立場からは,バッファローをなくしたことと同様に,現代史の惨劇でした。ですからね,わし鼻のスー族の人々に対して「貴方たちは,流浪のイスラエル人だし,神からずっと呪われた民だ」と納得させた宣教師が居たのも,無理からぬことでした。
続きはごく最近の時期になりましたが,スー族の人々はインディアン居留地で農業を営むことに方向転換したんですが,そのインディアン居留地は、すでに表土が流されて,しかも,ひどい干ばつに晒されているところでした。今日でも,小麦,トウモロコシ,穀物の栽培に適した土地は,ほとんどありません。
ですから,スー族の人々が,合衆国政府は,約束破りで,前政権は政治が間違っていると非難したのも,無理からぬ事です。白人については,様々な過ちや不誠実な関わりは,知らず知らずのうちに,やむを得ず白人を害した者さえ,否定することはありませんでした。アメリカの将軍が政府に提出した報告書と,インディアン委員会が議会に提出した報告書があります。インディアン委員会が議会に提出した報告書が教えてくれるのは,インディアンの古老が威厳のある非難をするのを耳にしたインディアン委員会の人々の深い恥でした。実際、アメリカ人の良心は,時には、進んで弱まって,感傷主義者の人や政治家が,インディアン問題を現実的に解決するためという弊害のある目的で,アメリカ人の良心に付け入ることがありました。
連邦政府は、騎兵隊を退却させて,アメリカ・インディアンのために,立派で、思いやりのある組織を作りました。その組織の管理者は,教員,医者,社会人類学者が代わる代わる,なりました。長年,市坪する中で依存する体質によって,大草原のインディアンの人々は,自分が信じられずにいるところはここだと言うことを信じられなくなってしまったんです。そのインディアンは,質の悪い類の人間にいったんなってしまいますと,精神科医らが「病床利得の病」と呼ぶ状態に近づいていました。そのインディアンは,安心感と一体感とを,何か負い目がある者としての立場から得ていました。しかし,疑われるべきは,何百万のバッファローとブラック・ヒルから盗られた金が戻ったとしても,スー族の人々は,依存体質の習慣を手放したり,今の時代にあった地域の暮らしを何とかつくり出したりすることもしないだろう、と言うことです。今の時代は,征服者にも,征服された者に対するのと同じように、命令を出すんです。
ですから,インディアン居留地を訪れた者は,まるでスローモーション動画の一部になったように,歴史的な重荷が,インディアン達の暮らしを阻んでいるかのように,感じても,不思議ではありません。事実,パイン・リッジの街は,まるで,中西部の一番貧しいところにある田舎町風に見えました。政府が建てた建物や学校は,きれいで,広々としていて,整っていました。教員らも職員らも、インディアンも白人も,身なりが整っており,仲良しでした。しかし,ブラック・ヒルのインディアン居留地に長くいればいるほど,あちこち歩きまわれば回るほど,そして,身近に見れば見るほどに,インディアンの人たち自身は,そのインディアン居領地を持て余し,上手に維持できていないことがますますハッキリしてきました。インディアンの人たちは,一見落ち着いていて,いつも人懐っこいのですが、鈍くてボーッとしていて,発育不全で病になっている驚嘆すべき標を示しています。時々お祭りで踊ったときと,保護地区から抜け出して,密造酒を売る酒場での酒の上のケンカの時にだけ,幻を善しとしている表向きの顔の下で燻る巨大なエネルギーが表に出るのかもしれません。私どもが,パイン・リッジを訪れた時には,インディアンの人たちの問題は,ジレンマに陥っています,すなわち,民主政治の天与の無駄遣いと市場経済の陽気な無慈悲の間に引き裂かれています。
先住民の課題は,日本でも,アイヌや島人の課題を見れば,インディアンの人たちのジレンマを想像できるかもしれません。
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