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今宵の聖書の言葉は,ワンダーフォーゲル,です。
自由でしょ。なんかうれしいですね。
私は,早稲田大学の時,ワンダーフォーゲル部でした。最初の部員総会の時の自己紹介で,「道なき道を進む,そんな逞しさに憧れて入部しました」と申し上げたことを,四半世紀前のことながら,昨日のことに様に思い出しますね。実際のワンダーフォーゲル部は,割と道のあるところを行く部でしたから,私の当初の思いとは必ずしも一致しませんでしたが,まあ,その初心は,大事にしたいと今でも思います。このワンダーフォーゲルは,英語のようなドイツ語でして,もともとは「渡り鳥」を意味するそうです。私のその後の人生は,まさに渡り鳥なのかもしれません。
順風満帆な時はいざ知らず,逆境の中にあって人は,「もう道はないなぁ」と言う場面に出くわすことがあるかもしれませんね。皆さんはどうでしょうか? 迷子の話ではありませんよ。迷子は道があるけれども,どっちに行けばいいのか分からないことでしょ。「もう道はない」と言うのは,「行き止まり」「どんづまり」ということでしょ。人はそういう時にはたいてい浮かない顔をしているものですよね。「死んだ顔」になるのは,そんな時かもしれません。そこからが,本物のワンダーフォーゲルなのにね。
聖書にも,そんなワンダーフォーゲルのことが,実はチャァーンと書いてあんですね。
『新約聖書』のパウロさんの手紙の1つ「コリント人への第二の手紙」の第4章8節~10節です。
「8われらはあらゆることに苦しめられながら押しつぶされず、途方に暮れながら行きづまらず、9迫害されながら見捨てられず、倒されながら滅びません。10たえずわれらはイエスの死を体に帯びていますが、それはイエスのいのちもわれらの体に現われるためです。」
前田護郎先生が「途方にくれながら」と訳しておられる言葉ἀπορούμενοι,アポル―メノイはἀπορῶ,アポロ―の中動相,現在分詞でして,ἀ 否定+πόρος 道 ,ということですから,文字どおり,「道がない」ことを意味しています。ですから,辞書には,「手段がない,困る,途方に暮れる,どうしたらよいか分からない,疑い迷っている」とあります。一方,「行き詰らない」と訳してある言葉は,同じἀπορῶの受動相の現在分詞です。ですから,直訳では「どん詰まりにされない」,「道は開かれる」,「道はこんなところにあったと気付かされる」という意味になります。
聖書の神様が教えてくださる生きる道は,まさに,「道なき道を生きる逞しい生き方」,すなわち,「人生のワンダーフォーゲル部」ということになりますね。
私も,早稲田大学ワンダーフォーゲル部を卒業してからが,本物のワンダーフォーゲル部入部だったなぁ,とつくづく思う今日この頃ですね。なんかうれしい。
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