エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人生が始まる時

2016-05-17 03:06:58 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
心、ないしは、魂が生まれるところ
  朝三本足、昼間二本足、夕方三本足、さて、なあに? The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p40の第3パラグラフから。&nb...
 

 

 私どもも、舞台を見て感動するのは、人間性の深み、最深欲求の行方を目の当たりにして、人と自分の繋がり、エリクソンの言い方で言えば、Iがweになると感じることができるからなんでしょう。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.337の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 トラウマを負わされた人々は、ぶつかり合いを怖がります。自分をコントロール出来なくなり、また、負け犬で終わるのが怖いんですね。ぶつかり合いは、演劇の要です。気持ちのぶつかり合い、人とのぶつかり合い、家族のぶつかり合い、社会的対立、それぞれの結末。トラウマは、自分が怯えていて、激しい怒りに打ち震え、無力であることを、忘れよう、隠そう、というものです。演劇は、真実を語り、深い真実を聴衆に伝える方法を見つけ出すものです。そのためには、皆さんの真実な姿を見つけ出すために、心にかぶせてある、いろんな鎧を打ち壊し、皆さんが心の中で体験してきたことを詳しく調べ、分析しなくっちゃね。それは、自分の真実な姿が、舞台で皆さんの声と身体に現れるようにするためなんですね。

 

 

 

 

 

 演劇トラウマ療法に限らず、セラピーの内的プロセスを示したものですね。

 普通は、というか、あまり意識せずに、自動運転で生きてますとね、自分は何となく、「世間様に指さしされないように、立派に見せよう」、「賢く見せよう」、などとしますでしょ。そんな繰り返しの自動運転の生活をしてますと、自分の真実の姿が、自分が怯えていて、激しい怒りに打ち震え、無力であることとは想像もできなくなってしまいます。

 こう考えてきますとね、実に多くの人が、実は発達トラウマ障害だということが分かりますね。真実の自分の姿ではないものを自分に仕立て上げようとする、的外れですね。

 渡辺久子さんみたいに、自分は、ふがいない自分自分が怯えていて、激しい怒りに打ち震え、無力であることを認めていくことが、すべての始まりです。

 そこに来てない人は、50歳になっても、何歳になっても、まだ人生が始まってもいないのですよ。

 

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