大事にする気持ちは、全人類と繋がっている。それは、たとえセックスの相手を大事にする気持ちであっても、変わらない。
p52冒頭から。
セックスの相手を大事にすることは、それが人を大事にする気持ちならば、1つの妥協です。自分が生かされている命を懸けて人を大事にすれば、それは、相手が生かされている命まで体験するものです。本質的に、全人類は、全く同じです。私どもはみーんな、1つの人類の一部分です。すなわち、私どもは1つの仲間なんですね。こうですから、私どもが大事に思う相手とは区別がつきません。≪真の関係≫とは本質的に言って、自分の命を、一人の他者の命に賭ける意思から生まれる行為ですし、そう決心することか生じる行為なんですね。実際問題、これが、結婚を解消してはならないとする考えの背後にある理論的根拠です。それはちょうど、2人は相手を選ぶのじゃなくて、相手のために選ばれているのだから、相手を大事にすることを期待されているのだとする、多くの伝統的な結婚の背後のこの理論的根拠があるのと同じです。現代の西洋世界では、この考え方は、ともに廃れたように見えます。≪真の関係≫は、自発的で、情動的な反応の結果、不意な、抗しがたい感情に囚われたの結果だと考えがちです。 この見方をすると、1人は、関わる相手の特性だけしか見えません。すべての男はアダムに似たものですし、すべての女はエバに似たものです。セッスクの相手を大事に気持ちの中にある大事な点を人は無視しがちです。それは意思の要素です。誰かを大事に思う気持ちは、単に強い感情というだけではありません。誰かを大事に思う気持ちは決断であり、価値判断であり、約束です。≪真の関係≫が単なる感情ならば、お互いに相手を永久に大事にする約束の基にはなりませんよ。一つの感情は、起こっても、消え去ります。1つの感情が永久にとどまるのかどうかをどのように判断するのでしょうか? 自分の行為が価値判断や決心と関係しなければ、1つの感情が永久にとどまるのかどうか、の判断はできないでしょう。
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