見通す力=信頼する力三浦雄一郎さん。昨年の5月に80才でエベレスト登頂に成功して、話題になりましたね。当ブログ目標・指針・目的、そして、ヴィジョンでも、「三浦雄一郎さんのことを研...
女性の生い立ちも、なかなか困難に満ちた感じです。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.210、始めの方から。
ほとんどの親にとって、自分の子どもが最大の関心事ですけれども、情緒的に課題のある子どもたちには、子どものいろんな課題の直接の原因かもしれない、情緒的に課題のある親がいる場合がよくあります。その情緒的に課題のある親と関わりながら、その情緒的に課題のある子どものセラピーを続けるけれども、その親がその子を傷つけ続けている行動に賛成している訳じゃぁありませんからね、とするのは、至難の業なんですね。その子がセラピーが続けられないのは、その親が、自分の子どもの傷に塩を塗り続ける行動パターンを、変えることに消極的であるからか、その行動パターンをそもそも変えられないから、ということが、実に多いんですよ。この手の親に限って、その子どもには非難すべき課題はないとするセラピーをすぐに疑うもんですね。
ブルース・ペリー教授が一流の臨床医であることがハッキリと分かります。児童精神科臨床の機微に触れるところですね。サイコセラピストである私と同じ課題にぶつかっていることが分かって、なんか嬉しい感じがしますからね。
子どもの課題が、親の課題の肩代わりであること、母子関係を背景としていることは実の大きい。その母親が自分の母子関係が貧しい関係である場合もあり、また、閉塞感溢れるニッポン社会の歪を、その母親がもろに喰らっている場合も多いので、母親だけが「悪者」でない場合も多い。それでも、かなり母親が悪い場合も、かなりある訳ですね。その手の母親は「逃げる母親」です。自分の課題から「逃げている」からです。多くの場合は仕事や研究に逃げています。その手の母親は、自分の心理面接には消極的、拒否的です。あるいは、子どもの心理面接を断ってくる場合が少なくありません。
ニッポンでもう1つ課題になるのが、大川小学校事件に代表されるような「おバカな教育委員会」です。学校は教員の「縄張り」だとヤクザみたいに考えて、アメリカや北欧のように、多職種が対等なやり取りのある関係を大事にするチームになって、課題に取り組むことが出来ません。その邪魔をするのが「おバカな教育委員会」なんですね。ナチスと同じ「人類に対する犯罪」をしている自覚は、髪の毛一本程もありませんから、子どもの人命や人権よりも、「組織のご都合」「縄張り」を優先するわけですね。その場合、「おバカな教育委員会」は、「逃げる母親」同様に、セラピーの邪魔を、税金を使って、平気の平左でしてきます。
日本のサイコセラピストは、このように、アメリカでよりも、多くの困難の中で、仕事をしている訳ですね。
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