子どもの日です。
子どもの日に、子ども1人1人が、いただいた命を感謝するようになってもらいたい、とお祈りします。
子どもにして差し上げること。私はあるお母さんの話をご紹介しようと思います。東京の郊外に住んでいる方です。
今日のようなゴールデンウイークの話だったかは、記憶が定かではありません。お休みの日に、前々から計画していたディズニーランドに、子どもを連れて行ってきた、というんですね。時間もお金もたくさん使ったんだと思います。親にしてみれば、相当努力したんだと思います。実際そうしなければ、お休みの日のディズニーランドには行けません。中央道に乗って、首都高に入って、ディズニーランドまで行くには、空いてれば1時間で行けるでしょうけれども、お休みの日は3時間かけても付くかどうか…。入場して、アトラクションに乗り、ショーを見て、お昼を食べて、お土産を買ったら、家族4人で何万円かかるのでしょうか?
ディズニーランドに連れて行ってもらった子どもは、さぞかし喜んだのか?
ディズニーランドに行って帰ってから、夕方、家の前で、バトミントンをやったそうです。何十分もやってないでしょう。何故って、親の方はディズニーランドに行って、疲れてんですからね。バトミントンをやったのは、10分ぐらいだったかもわかりません。その子は、「ディズニーランドよりも、バトミントンの方が、楽しかった」と言ったというのが、そのお母さんの嘆きでしたね。
大人が考える「楽しい」時間と、子どもが感じる「楽しい」時間は、これだけの差があんですね。お金と時間を使えばいい、と考えるのが大人の考える「楽しい」時間かもしれません。子どもにとって「楽しい」時間とは、子どもの気持ちに寄り添って貰った時間なんですね。ですから、「楽しい」時間は、お金と時間をたくさん使うことでは全くない。子どもの気持ちを真摯に聴いくことが大事だ、別の言葉で申し上げれば、子どもの気持ちを理解することに時間をかけてもらうことが大事だ、ということです。
ときどき、罪滅ぼしのつもりで、時間とお金を使ってもダメだ、ということです。
私は次のことをお薦めします。
日々の生活の中で、子どもと共にする時間を約束することです。
なぜなら、根源的信頼感を支える唯一のものは、“約束” だからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます