これは、今から92年前、内村鑑三が、関東大震災直後に、新宿柏木(南新宿)の自宅の玄関に貼ったと言います。その文は
「今は悲惨を語る時ではありません。希望を語る時であります。」
これは、立教大学の月本昭雄先生が、東日本大震災直後から、読売新聞の連載していた「いにしえとの対話」で紹介されていた文書です。さすがは内村鑑三、さすがは月本昭雄先生だと感じましたね。
内村鑑三は、関東大震災があった9月1日は、軽井沢にいたそうです。当時、地震のため、電車も新宿までは走っていませんでした。軽井沢から埼玉県川口まで電車で来て、そこから、柏木まで、62才の内村鑑三は足を引きずり歩いたようですね。荒川を超えるその道は、グーグルで調べると、3時間以上掛かります。当時は舗装した道も今ほどないはずですから、もっと時間がかかったでしょう。
その道々、壊れた家々を目撃したはずです。なくなって人も見たかもしれません。朝鮮人虐殺の話も聴いたかもしれません。
それにもかかわらず、内村が「希望を語る時」と語ったのはなぜでしょうか?
それは明治維新以来「富国強兵」で進んできましたね。教科書でも習います。その中で人々はどうなったのか?「強い者勝ち」。その陰で弱い立場の人が泣かされていることを知っていました。それは日清戦争後に内村が書いた「やもめの除夜」でハッキリ分かります。戦死した夫の妻が除夜を寂しく過ごしているのに対して、戦勝を祝う軍人が酒を飲んで大声で騒いでいる。内村は、やもめの声を聴こうとします。
また、東日本震災後の今の日本と同様、関東大震災後の日本でも、数多くの「追悼会」があったらしい。内村も、女子学院で行われた追悼会に招かれて、話をしたらしい。追悼会といえば、生き残った我々が、不幸にも亡くなった人を慰める、という形になりますよね。でも内村は真逆でした。死者たちは生き残った者の生き方を問うている、いや、導いている、と内村は見るんですね。
それは、酒を飲んで大声で騒ぐ類の「強さ」ではなくて、人の弱さに寄り添う優しさと=で繋がっている、本物の強さでしょう。
東日本大震災後の私どもも、単にアメリカ軍と一緒に、外国に人殺しに行くような国づくり、「列強」「大国」を目指すのは今すぐ止めましょうよ。弱い立場の様々な人にも、人間らしい暮らしを保証するような、本物の文化国家、社会民主主義の社会づくり、オランダやデンマークのような「小国」にしたいものですね。
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