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「発達トラウマ障害」Enpedia
をご参照ください。
不思議な声が,またまた聴こえましたので,Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,6年ぶりの改訳を,またまた場所を変えて,します。p.167の,はじめから。今朝は,4行目から。
見ると,正対して正視して見られること
最高の光をもたらす世界を見て取る中で,体得底で身に付けようとしてきたことは,キリストみたいに「できた!」と言える無我のゆとりに恵まれた,一番できる大人になることです。キリストみたいに「できた!」と言える無我のゆとりに恵まれた,一番できる大人になることは,発達の舞台ごとに見てきたように,陽気で楽しい歓びそのものである聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)の真似をして,キリストみたい(あるいは,阿羅漢,ないしは,ムスリム)になることの中にあります。私ども夫婦が示してきたもう一つは,このような陽気で楽しい歓びは,生きている実感が育つ初めから終わりまで,体験したことを心の中にピッタリ収めたり,毎日礼拝をしたりする,両方を,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)を礼拝する中で,漲っています。
この本物の大人になる道は,毎日礼拝の中で,日々目覚めていくこと,覚するになります。
ところが,昨日も申し上げましたように,日曜礼拝では,甚だ不十分,というよりも,その目覚め,正覚(しょうかく)を邪魔する場合が,残念ながら,あまりにも多いのが現実です。
目覚め,正覚は,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)と一心同体になる神秘の中で,聖書の神様そのものである,陽気で楽しい歓びを体験することによって,はじめて可能になります。
例外はない。
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