エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#漲る歓び

2019-07-27 05:58:13 | エリクソンの発達臨床心理
 
#生きている実感 #ある? #ない?
 #エリクソンの叡知:#人を心から大切にする秘訣   発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia

をご参照ください。


 不思議な声が,またまた聴こえましたので,Toys and Reasons 
『おもちゃ賢慮』から,6年ぶりの改訳を,またまた場所を変えて,します。p.167の,はじめから。今朝は,4行目から。

 

 見ると,正対して正視して見られること


 最高の光をもたらす世界を見て取る中で,体得底で身に付けようとしてきたことは,キリストみたいに「できた!」と言える無我のゆとりに恵まれた,一番できる大人になることです。キリストみたいに「できた!」と言える無我のゆとりに恵まれた,一番できる大人になることは,発達の舞台ごとに見てきたように,陽気で楽しい歓びそのものである聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)の真似をして,キリストみたい(あるいは,阿羅漢,ないしは,ムスリム)になることの中にあります。私ども夫婦が示してきたもう一つは,このような陽気で楽しい歓びは,生きている実感が育つ初めから終わりまで,体験したことを心の中にピッタリ収めたり,毎日礼拝をしたりする,両方を,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)を礼拝する中で,漲っています。


 この本物の大人になる道は,毎日礼拝の中で,日々目覚めていくこと,覚するになります。

 ところが,昨日も申し上げましたように,日曜礼拝では,甚だ不十分,というよりも,その目覚め,正覚(しょうかく)を邪魔する場合が,残念ながら,あまりにも多いのが現実です。

 目覚め,正覚は,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)と一心同体になる神秘の中で,聖書の神様そのものである,陽気で楽しい歓びを体験することによって,はじめて可能になります。

 例外はない。

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