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「僕にも分からん」と答えた主は、上の写真の、内村鑑三です。厳格で、厳しいイメージが強い内村鑑三です。特に武田清子先生の書物を通してみる内村鑑三には、そういう孤高で厳しいイメージが付きまといます。2年前に鈴木範久先生がNHKの「こころの時代」の6回シリーズで、教えてくれた内村鑑三は、不器用ながら、きめの細かい気配りの出来る、親しみに満ちた人であったことを教えてくれました。
今回ご紹介して、皆さんとシェアしたいと考えましたのも、そういう親しみ深い内村鑑三です。
教師の立場の人が、生徒の立場の人から質問されて、答えられないのは、バツが悪い感じがしませんか? 教師にとっても、生徒にとっても。特に「権威主義的な」教員でしたら、よくわからない場合でさえ、なにがしかのことを答えて、その場を取り繕う場合が少なくないのじゃぁないのかしらね。
この時、問いを発したのは、敗戦後2番目に東大総長になった、矢内原忠雄先生です。高校生の時のことだといいます。その問いとは、「信仰を持たずして死んだ両親が、果たして救われているのか、天国に入れるのか?」ということです。矢内原忠雄先生にしても、信仰を持たずして死んだ両親であっても、天国に入っていてほしい、と言う願いを背後に持った問いだったと考えて、間違いないでしょう。その時に、「僕にもわからん」と内村鑑三は答えたといいます。
それで、その答えを聴いた矢内原忠雄先生が、ガッカリしたか?と言えば、むしろ真逆です。矢内原忠雄先生は、言います。「…人間には依頼してはいけない。…神様から直接教えて下さるのであり、しかもそれには時が必要なのだ。…(解る)まで忍耐して、自分の信仰の道を歩まねばならない、という事なんです。内村鑑三先生は私に沢山の事を教えてくれたけれども、『自分にも分からない』といって下さったのが、最大の教訓でね。」
分かりますか? 問いに対して正解を答えることが正解ではないんですね。内村鑑三が「僕にも分からん」と応えたことは、≪本物の信頼≫とは何か?を教えているのです。矢内原忠雄先生も、内村鑑三のこの答えから得たのも、≪本物の信頼≫だったはずです。いい加減な応え程、≪本物の信頼≫と矛盾するものはありませんよね。それは、高橋三郎先生が、犬養さんの友人で、クンちゃん、ムッちゃんという青年に分からないような話しかできない時に、集会に参加するために上京しないでほしい、と依頼したことと、似ています。
人との関係は、神様との関係が、知らず知らずに現れてんですね。ですから、人との関係を見れば、本物のクリスチャンなのか? それとも、偽物かも、はっきり区別できる、という訳ですね。
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