エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

やっぱり、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、重たい自閉症の子どもにピッタリ

2016-04-21 04:51:23 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
基本的人権を蔑ろにしている安倍政権 国家>個人 は大間違い
  基本的人権は、憲法の三大原則、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の1つです。小学生でも習う、基本中の基本です。それが安倍晋三首相はお分かりでない...
 

 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもたちの、過酷で辛い日々を、少しでも和らげるような具体的な工夫が必要です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.249の、最後のパラグラフから。自分の身体が、他人の身体みたいになる節が、まだまだ続きます。

 

 

 

 

 疑問の余地がないのは、言葉は欠かせない、ということです。≪本当の自分≫という感じは、自分の記憶を一貫性のあるまとまりに組み込んでいくことが出来るか否かにかかっていますからね。そのためには、意識的な脳と≪本当の自分≫としての身体が上手く結びついていなくてはなりません。この結びつきがトラウマによって壊されてしまう訳です。十分な物語が語られるのは、こういった結びつきのある構造が修復されて、基盤が出来た後に初めてできることなのです。すなわち、誰のものでもなかったからだが、誰かの身体になった後に初めて、自分の物語を十分に語ることが出来る訳ですね

 

 

 

 

 

 ここも、ドナ・ウィリアムズさんを思い出す所ですね。この最後の件「誰のものでもなかったからだが、誰かの身体になった後」は、after no body becomes somebody. なのですが、同じ消息をドナ・ウィリアムズさんが、本の題名にしているくらいです。彼女も最初は、自分の身体が自分の物ではないものでした。その時代の事を書いた最初の本は、Nobody Nowhere でした。そして、ドナさんが少しずつ自分を取り戻すことを描いたのが、Somebody Somewhere でしたね。

 自閉症の人が≪本当の自分≫を回復する過程は、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもが≪本当の自分≫を回復する過程と、全く同じです

 


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