エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

息と声

2015-04-16 02:23:06 | エリクソンの発達臨床心理

 

 禅僧ティク・ナット・ハンさん、瞑想では、息を意識する、といいますね。息を意識するのはね、ささやかなこと、当たり前が、奇跡で、不思議で、幸せだ、と気付くため。それがマインドフルネス。たとえば、私は大学の時、ワンダーフォーゲル部であちこちの山野を巡りましたが、山野で飲む一杯の水が「うまいぃ」と感じたことが何度もありますもんね。でも、家に帰ってきて飲む水はそれほどでもない。あるいは、足の怪我でしばらく歩けなかったり、走れずにいる間、歩けたり、走れることが、「どんなにかありがたいことなのか」と気付く。

 ティク・ナット・ハンさんも「息を吸う度に、二三歩歩いてごらんなさいな。その数秒間に気付くのは、自分が生かされていること、足が動き、歩ける(そして、登ったり、走れたりもできる)ことでしょ。そしたら分かるでしょ、生かされていること、この美しい地球で歩けることそのものが、すでに奇跡だ、ということを」と言ってますからね(「Peace is every breace. 『一息ごとに頂く静かさ』p110)。

 当たり前のことは、実は、奇跡だなぁ、不思議だなぁと感じる心。まど・みちおさんや長田弘さんのような詩人の心。それがマインドフルネス。それは、息を感じると気付きを与えられやすい。

 ギリシャ語で息はプネウマ。ヘブライ語ではルアーハ。いずれも、それは同時に霊や心、神の霊、を意味します。ですから、息を感じることは、神様を感じること。自分が、不思議にも生かされていることをカンジルこと。息は、霊であり、心、気持ちそして、自分やこの世のものをはるかに超える神、でもある。

 そして、声。息ははけば、声にもなるでしょ。声を聴き、声を出す。声と言っても、外から聞こえてくる声だけじゃぁない。内側から、心から、聴こえてくる声もある。その声は、「静かなる細き声」、囁きです。ですから、耳を三つ用意するような気持で聴くことが大事になりますね。それは息を感じることと通じますでしょ。日頃はかき消されている声ですもんね。世間や大声で聞こえない。ですから、私どもはね、静かに一人になる時間が必要です。その声は何を語っているでしょうか? ご自分で試してみてください。私の場合、大体ビックリするほど、あるいは、不思議なほど、肯定的な積極的な中身ですね。あるいは、自分が進んではやりたくないことの場合もありますね。

 息と声。それは、新たな一歩、新鮮な朝、悦びを生きる道を迎えるためには、なくてはならないものです。

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