悪い良心から、人間を解放したことは、ルネッサンスの業績です。
Young Man Luther 『青年ルター』p193の第2パラグラフの下から6行目途中から。
超自我の正義を上回る位置に対して、自我が自惚れを回復することも、理想的なユートピアを確立することになりました。それがフィチーノの言葉にも出てきます。ルネッサンス期の人は、フロイトが義肢の神と呼んだものに、何の疑問もなくなることになりましたし、この悪い良心をどのように始末するのかという問いが、神学だけではなく、精神医学の関心も引くことになりました。
フロイトが「義肢の神」と呼んだものは、よく分かりません。しかし、悪い良心は、最も厄介なものですから、その処置の課題が、神学ばかりではなくて、精神医学の課題になったことは、ある意味では幸いなことでしたね。
悪い良心は、あらゆる心の病、あらゆる犯罪の背景をなす、と言っても過言ではないからです。
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