エリクソンは、デンマークから、ドイツへ、ドイツからアメリカへの、引っ越しました。言葉もデンマーク語からドイツ語へ、ドイツ語から英語へと学習し直さなくてはなりませんでした。エリクソンがアメリカへ引っ越した時には、英語はあまり話せなかったみたい。なんせ、ナチスに追われて逃げたユダヤ人の1人でしたからね。ですから、その英語で最初の本を出すのは、48歳になった時でした。今宵からしばらく、エリクソンの処女作、Childhood and Society 『子どもの頃と社会』の至言をご紹介します。今宵は、まずは、P211-2.
遊びは、自我の働きの1つでが、身体と対人関係とを、≪本当の自分≫の音色と一致させようとする試みの1つです。…私が強調したいと思うのは、自我は、様々な暮らしのなかにある体験の主人公にならなくちゃいけないという点です、特に、≪本当の自分≫、身体、自分の社会的な役割にとつて、足りないから、喉から手が出る程体験したいと思っている体験の主人公にならなくちゃいけない、という点です。
子どもの遊んでますとね、どの子どもも、自分が足りないから、喉から手が出る程の思いでいる体験をしようとします。今どきの子どもが一番足りなくて、喉からほど欲しい一番の体験は、触れられること、タッチです。ですから、遊んでいる時に、やたらに触ってきますし、1人を抱っこしようものなら、3人4人とおんぶされたくて、背中に乗ってきますよ。
今の学校も、社会も、遊びのこの値打ちにあまりにも盲目です。
ですから、遊びの社会的な再生が必要な時代です。
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