ただただ恵みによって 自由神はすべてを創造された。人間には自由に振る舞えるゆとりがあるのかどうか?が大きな問題になりますね。 Young Man Luther 『青年ルター』のp1...
ルターは修道士を辞めて、結婚することになります。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.259の、第4パラグラフの、6行目途中から。
しかし、親しみのある関係が持てない危機は、決して性的なものだけではありません。すなわち、異性との性的な関係だけではありません。ルターは、かつて自由気ままに、自分の情緒的な生活について、男友達宛ての手紙に記していました。その情緒的な生活の中には、自分のせい生活について含まれ、男友達との親しみのある関係を分かち合う必要性についても、率直に記しています。おそらく、最も有名な例は、こういった修道士たちが、修道院を逃げ出した修道女達と遅ればせながら結婚したという、悲喜こもごもが次々に起こった時に書かれた手紙でしょうね。ルターは、スパルティンと、逃げ出した修道女で、スタウピッツの親戚の女の媒酌人を務めたこともありましたっけ。スタウピッツ宛ての手紙の中で、ルターは、「結婚初夜は上手くやんなさい」と願っていましたし、「僕らのヘッドでお膳立てした、君らと同じ夫婦の交わりの間、君のことを思っているよ」と約束してたんですからね。
セックスのことは、あまり口にしないことがたしなみみたいな感じを持つ場合が日本人には多いでしょうね。日本人で夫婦の寝室を見ず知らずの人に見せることはまずありませんでしょ。でも、ところ変われば品変わる、でして、常識や通念は、時代が変わったり、場所が変われば、全く異なるものなんですね。アメリカでは、友人になった人には、会った最初の日にでも、夫婦の寝室や、夫婦専用のお風呂(日本では見たことがありません)まで見せるんですね。それはセックスにもオープンで、大らかなアメリカ人ならではでしょう。
常識や通念に囚われないことも、自由でいるために必要条件でしょうね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます