昨日,「内的促し」と言ってたのは,確か森有正だったなあ,「経験」と「体験」の話が,よく駿台の『国語」の模試に出てきたなぁ,などと思ってたんですね。暇ですね。
それで,ちょっと,森有正の本を何冊か本棚から出してきたんです。引っ越しついでに,国立の本棚は,以前に比べて,俄然,分類整理が進んでいますからね。森有正,といえば,あそこの棚だぁ,とピィッとわかる。整理整頓って,素敵ですね。日頃できてないものですから,できるとすぐ自慢したがる私です。
それで,その一冊『経験と思想』(岩波書店)の初めのほうを読み返してみたんですね。そしたら,今日のタイトルにもなっいる「鋭い『歓喜』」という言葉に出会ったわけですね。なんつっても,圧倒的で,しかも,静かな歓喜が大好きなものですから,この,「鋭い『歓喜』」も,どういうこと? って思ったわけですよ。でも,これはよく読むと,結局,私の言葉で申し上げれば,≪感じ・イメージ≫と≪話し言葉≫と≪出来事≫の一致,その一致からくるヌミノースだと判りましたね。その三つがずれずにピッタリ来たときは,ヴァン・デ・コーク教授もはっきりと言ってますけれども,神様に出会った経験,エビファニーだ,というわけです。
神様との出会いは,森有正が言う「内的促し」に始まり,それは同時に≪感じ・イメージ≫の始まりで,そこから,≪話し言葉≫となり,≪出来事≫に変えられていくわけです。≪出来事≫に変えられた時には,もちろん嬉しいし,ありがたいことです。ところが,不思議なことに,最初の「内的促し」が始まった時点で,もう,圧倒的で,しかも,静かな歓びも,すでに始まっているわけですね。
そのことが,森有正のおかげで,整理できた一日でしたね。
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