佐藤初女(はつめ)さん
一緒に食事をして、話しを共感的に聴くことを大事にしたと言います。
この前の日曜日の朝、山登りに行く前に、こころの時代・アーカイヴス「心をわかちあう」で、佐藤初女さんのお話を伺い、感銘を受けました。
佐藤初女さんは、青森県の岩木山のふもとに「森のイスキア」を開いて、心の苦しみを抱える人を受け入れてきたそうです。先月1日に、94歳で亡くなったそうです。詳しくは次をどうぞ。
http://diamond.jp/articles/-/68764
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%88%9D%E5%A5%B3
佐藤初女さんは、カトリック司祭のロベール・ヴァレー神父の説教を聴いて、「森のイスキア」を始めようと言う「声」を聴いたようです。その時の司祭のお話は
1)奉仕のない人生は 意味がない
2)奉仕は犠牲が伴う
3)犠牲が伴わなものは まことの奉仕でない
という事だったと言います。奉仕と言う言葉は、ギリシア語の名詞θεραπεια セラペイア 英語のセラピーの元の言葉ですから、すべてのサイコセラピストが参考にして欲しいところですね。特に、妥協して生きている「犬」のあなた、ご注意くださいね。
それで、毎年何百人もの人がここを訪れるようになったそうです。ですから、日曜日でも礼拝に、教会には行けないそうです。来てくださる方を置いては、教会にはけないからだそうですね。まるで、本田哲郎神父のようですね。
佐藤初女さんは、「苦しみの後には、恵みがある」「いまは苦しくても、恵みに変わる」との経験知から、「とことん苦しむこと」を大事にしているそうですね。逆に、「こうすればよかった」などと「妥協する場合は、苦しみは残る」のだそうで、その場合は、その苦しみは「ぶり返す」と言いますから、妥協して生きているあなた、ご注意くださいね。
そんな生活から生まれた生活は、次のようなことがあるそうです。
1)生活そのものが 祈りになる
2)ひとりびとりが 大切
3)小さいことが 大事
4)霊的な悦びは 尽きない
5)とことん苦しむと いま生きていることそのものが 自分の力ではどうすることもできないし 祈りそのものになる
一番美しいカトリック信徒の信頼です。
あなたも参考にしてくださいね。
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