個として尊重される体験 「痛いの、痛いの、飛んでけ~」≪私≫の在り処2014-09-09 10:39:46 | アイデンティティの根源 「個として尊重すること」を、今晩は考えま......
Piers, Maria W.編、Play and Development.所収のPlay and Actuality.から。p.127、最後のパラグラフ。
数年前から、ペギー・ベンとジョアン・エリクソンと私とで、4・53の子どもの積木遊びを集め出したんです。それも、様々な背景があって、様々な場、都会の学校や田舎の学校、国内外の子どもの積木です。ペギー・ペンは、遊び相手になって、一度に1人ずつ、子どもたちを招待して、遊び仲間から離れて、背の低いテーブルと積み木セットといろんな玩具のある部屋く来てもらいます。床に子ども等と座って、ペギーは子どもひとりびとりに、「何でもいいから作ってね」、作ったものについて「そのお話をしてね」と頼みます。ジョアン・エリクソンは、部屋の隅に陣取って、子ども等の様子を記録します。私はと言えば、時々ジョアンの代わりをしたり、(場所があればの話ですが)座って、後ろから様子を観察します。
プレイセラピーの基本形を、大人たちが分業でやっている様子を、簡明に描いているところです。さすがは、アメリカ、分業して協業するというチームワークが見事ですね。日本では、これだけの人的余裕、経済的な支援がないのが普通ですから、エリクソン夫妻らが分業でしてきたことを、一人でやらざるを得ません。
これは、箱庭療法でも、コラージュ療法でも、同じです。
子どもは、心理学を学んだことはないのに、ユングが言う「心の旅」、エリクソンが言う「ライフサイクル」のプロセスを知っているかのように、自分の遊びについて語ります。
実に不思議でしょ。
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