アガペーの愉快で陽気な、ささやかで束の間の例の続き。
Young Man Luther. p180の9行目途中から。
聖母マリア像は、巨大な球形で、色鮮やかな衣装をまとい、小さな王冠を被っていました。その豊かな胸のどこかに、小さな桃色の赤ん坊の人形がいました。ロウソクの代わりに、大きなトウモロコシの軸がぐるっとめぐっていました。人は、あの、一緒に楽しい気分になる感じを感じずにはいられません。この一緒に楽しむ気分さえあれば、ひとつの儀式を即興でする時に、一体感を感じることができますし、古いものと新しいものとを一番上手に結びつけることもできます。それがまた、律法の縛りから自由になっていることに応じたものでもあります。破門されたことを意識的に無視して、プエブロの人たちは歴史的な閉塞感から陽気で楽しいエネルギーを得ることができたのでした。もちろん、自宅では、機嫌を損ねる者もあれば、不安を感じる者もありました。背景には不在の聖職者がありましたが、その彼は、一連の出来事によって犠牲になったのでした。
非常に粗末な儀式ですね。でも手作り感一杯の儀式です。そのなかで、プエブロの人たちは、みんなで陽気で楽しい気分を味わいます。自宅では、日常世界では、機嫌が悪くなる場合もあるでしょう。不安を感じることだってあるでしよう。しかし、1つの儀式を分かち合う時、陽気で楽しい気分を共に味わうことで、人々は一体感を感じることができますし、新旧を統合し、「ねばならない」ことからも自由になれるんですね。
そこにあるのは、晴れ晴れとした、突き抜けた、温もりと光に溢れた悦びそのものです。それがアガペーなんですね。
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