見ることの2つの意味
子どもの意識が完全である、という視点は見落としがちですが、大事な視点です。子どもの意識が完全であることは、子どもが大人の見本・先生になる、と言い換えることもできます。今日は見るこ...
「見る」には2つの意味があります。「見る」と「見通す」です。「見る」は現在を見ることで、「見通す」は将来を見ることです。
現在を「見る」のは、≪いまここ≫を見るので、「眼に見えるもの」を見ることになります。ところが、将来を「見通す」ことは、≪あとでここ≫や≪あとでそこ≫や≪あとであそこ≫という、「眼に見えないもの」を見ることになります。「眼に見えるもの」を見ているときには気づかないことも、「眼に見えないもの」を見通すときには、気づきやすい場合があります。「『見る』ことは選択なんだ」ということです。人間の感覚は、見ることに限らず、おしなべて「選択」なのですね。
聴覚の 選択は、心理学の授業でもよく習いますね。特に言語発達。割合有名なのが、「R」と「L」と聞き分けの実験。それを昔アメリカと日本でしたことがあります。生後6~8か月と、生後10~12か月の赤ちゃんで、日米で違いがあるのか、という比較研究です。生後6~8か月の赤ちゃんは日米ともに、「R」と「L」の音を聞き分けていたのに、日本人の赤ちゃんだけ、生後10~12か月になると、その聞き分けができなくなったと言います。それは、日本語では、その区別が不必要なので、その聞き分けをする能力を捨てる、という選択を生後10~12か月の赤ちゃんがしていたことを意味します。
また、これも聴覚ですが、録音テープを聞き返す(ちょっと世代がバレちゃいますね)と、日常生活の中で聞いている音以外に「雑音」が多いことに気づきます。また、手品師は、「意識して見ないと、見えない」という人間の視覚の特性を利用して、手品をしているといいます。いずれも、感覚は情報を選択して、受け止めていることが分かります。
しかし、これはいずれも≪いまここ≫、「眼に見えるもの」の世界を見たり聞いたりすることですよね。その時でさえ、人は選択して、見たり聞いたりしているのです。それも「選択している」とは知らないままに、選択しているのです。何を選択しているのか? 当人が「必要としているもの」です。無意識の内にね。「R」がいらないとなれば、それが人生の真の幸せのために不可欠のものでさえ、知らないうちに、人は捨てるのです。
それじゃあ、将来を見通すときはどうでしょうか? 言うまでもなく、選択の連続です。「眼に見えるもの」の時にさえ、大事なものを捨てる場合があるのに、「眼には見えないもの」はなおさらでしょう。しかも、『星の王子さま』が言う通り「大切なものは、目には見えない」のです。
何を選択するのか? 選択の時に大事なのが、例の “声” です。どんな “声” を日々聞き分けているのか? によって、見通すものが違ってきます。絶望的な将来しか見通せない人もいれば(「もうダメだぁ」、「あいつはもう当てになんないなぁ」「この会社ももうお終いだぁ」…)、隠れている希望を見つけ出す人だっているはずです(「失敗は成功の基」、「攻撃的アグレッシブという言葉のもともとの意味は、「歩み寄る」という意味なんだけれど…」、「怠けているようで、実は自分から物事を始める(イニシアティブa sense of initiative)準備だったんだね」...)
何を見通すのか? それが大事ですが、そのためには、どんな “声” を聞きわけるか? が問題です。その意味では、日々の遊び、日々のセラピーでの 練習が、とっても大事ですね。大事なのが、お勉強ではなくって、遊びっていうのが、ミソですよ!
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