エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

見ることの2つの意味

2013-05-08 04:33:08 | エリクソンの発達臨床心理
 子どもの意識が完全である、という視点は見落としがちですが、大事な視点です。子どもの意識が完全であることは、子どもが大人の見本・先生になる、と言い換えることもできます。今日は見ることには2つの意味があることが説かれます。





 もし、子どもの遊びと、これまで見てきた楽しさの他の側面が、強力な視覚の要素に依存しているならば、それらは、限定された「世界」に意義深く配置された人形の一時の巡り合わせに視覚がほぼ釘づけになっていることにも支配されているのです。これは、視覚の2つの意味を結びつけます。すなわち、私どもの目の前に、今ここにあるものを見る能力と、将来において、やがては本当になるかもしれないことを、信じることしかできないとしても、見通す力を結びつけます。人間の視覚のこれら2つの側面の由来を突き止めるためには、私どもは個人の育ちにいっそう深く立ち戻って、最初の一番明確さに欠ける、幼少時に没頭しなくてはなりません。




 視覚には、現在を見る力と、将来を見通す力の2つがある、重要な視点がまた示されました。その起源、由来をこれから見ていくということですので、楽しみですね。
 それではまた。
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