#陽気で楽しい神様 #神様の創造の目的に叶うインターメッツォ: エリクソンの叡智: 日常生活が≪超越的≫になる時 群がる、ウソとゴマカシの≪悪い良心≫の大人たち 聴くと祈り 心理臨床の仕事は、聴......
「発達トラウマ障害」Enpedia と
発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典 Weblio辞典
をご参照ください。
今日も,昨日の続きです。
Young Man Luther 『青年ルター』p.213,第2パラグラフから。5訂版。p.212の第2パラグラフからも一緒に。
これって,自分が周りに同調してきた全ては,無意識から出たウソなのかしら?マルティンは,息子として,個人的に,深く苦しんだのは,自分が信頼感が豊かであることは本物だ,ということを父親に認めさせることができなかったからでしたし,生まれながらに,「子どもなんだから,ずっと私に従ってればいい」と,父親から言われ続けたからです。そのマルティンが,いまは,宗教的に,子どもとして,自ら歓んで生みの苦しみを引き受けているように思いましたが,それは,長すぎるくらい息子として苦しんだことが,自分がキリストのスピリットを示した勝利になってたんだ,と今は思えます。最初のおミサで,祭壇に正対して,すなわち,天の父なる聖書の神様に正対して,この世の父の怒りに正対するのを待ちながら,キリストがど真ん中に立つ人であることに関する聖句を「見落とし」てきていました。しかしながら,キリストが自分の中に共に居ることに気付いた今,マルティンは,思い煩いからエバル父親みたいな親分に同調する生き方を超えて,心の中でホッとできる場所を見つけました。マルティンが見つけたのは,祈りの人が聖書の神様と一心同体になる神髄ですから,マルティンは,聖書の神様の御心を一歩前に進めたことになります。
…キリストはいまここで,私の中に私と共に居るのです。生みの苦しみを歓んで引き受けることを肯定することが,毎日の十字架になりますし,毎日の十字架として歓んで受け身になる情熱が,(訳注:旧約聖書の時代に)他の人を犠牲の捧げものにした代わりに,自ら関わることを旨として,最高に晴れ晴れと,日々ただの人を生きることを肯定することになります。それが,いまここを最高に生きる選択であり,復活したキリストと一心同体になる本物のキリスト者の生き方になります。
人類が救い主として崇めた人たちは,聖書の中で,自信をもって,生きている実感を人生の習慣にしている,ただの人は,なるべく自分にもウソは言わないし,なるべく人にもウソは言わないことになるっている,という心眼を体得し,体現します。そのウソのない救い主たちは,不思議な声で,大切なことを証明するわけです。その不思議な声は,遥か彼方まで,世の終わりまで,届きます。人類が救い主として崇めた人たちが生みの苦しみを歓んで引き受ける情熱が含む原理は,自分で選んでいる原理,自分が最高を生きる主人公である原理,自分が勝つ原理であり,遅かれ早かれ,最高の王の名を手に入れる原理になります。いばらの冠も,救い主に従った者たちのティアラになります。…
かくして,ただの人は,魂の中のキリストを頼りに,最高を生きる主人公を日々始めることになってます。
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