エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: πάθος パトス

2017-03-22 04:30:50 | 聖書の言葉から

 

 

 
日本もアメリカに見習った方が良い
   心の泉  何か大事なものを象徴する美を実感する日々でありたいものですね。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p10......
 

 

 今宵の聖書の言葉は,πάθος パトス

 映画「42」の中で,試合の最中に,相手チームの監督から,「ニガー(クロンボ),ニガー,ニガー…」などと,ジャッキー・ロビンソンが,ひどくバカにされた場面がありました。それを見ていたドジャース職員のハロルドが,ゼネラルマネジャーのリッキーに,その怒りをぶちまける場面が,その後,出てきましたね。

 そのとき,リッキーは,最初はジャッキー・ロビンソンの入団に反対していたハロルドの変わりぶりを,指摘する場面が出てきます。リッキーは,聖書をギリシア語でも読むくらいの教養と,神様に対する信頼があったからでしょう,ギリシア語で,sympathyについて話します。sympathyは,「共に」を示すsymと,「苦しみsuffering」を示すpathyからできていて,ギリシア語のパトスπάθοςに遡る,と教えています。

 このパトス,πάθοςは,「情熱」だと思っている人が多いかもしれませんね。しかし,もともとの意味は「受け身で経験すること」「受け身で経験したときの気持ち」のことです。しかし,人は,受け身で経験したことを,自分の経験としてまとめることができません。受け身の体験は,能動的に再体験することが必要です。

 しかし,だからと言って,仕返しという形で能動化しても,自分の体験にできるわけではないのです。どうしてかは分かりません。恐らく,仕返し「善いこと」とは言えないからだろうと思います。神様が「善し」と,しては下さらないからだと思います。

 ところが,受け身で体験したことを,どなたか一人が,歓んで,快く,陽気で楽しく,一緒になってくれる時にだけ,人は受け身で体験したことを,陽気で楽しく,能動的に再体験できるんですよね。不思議ですね。すると,苦しかった破滅の元が,陽気で楽しい源になり,自分の体験の一部にすることができるようになってますよ。

 

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