自分を確かにすることは、いつでも、平安と悦びの中で生きていく時には、なくてはならないものですね。あらゆるスピリチュアルの試みは、自分を確かにするためにある、と言っても、間違いにならないと思います。
ティク・ナット・ハーンさんが唱える、マインドフルネス mindfulness も、自分を確かにするためにあるはずです。自分を確かにするためには、その自分が大事でしょう。なぜなら、その自分が、≪本当の自分≫、≪ありのままの自分≫でなくてはなりませんからね。親から期待されている自分や、会社や上司が喜ぶ自分や、友達に嫌われない自分をいつまでも演じていたって、≪本当の自分≫にも、≪ありのままの自分≫にもなれませんからね。
マインドフルネスとは、マインドが満たされていることでしょ。≪いまここ≫に気付くこと、≪いまここ≫の自分に気付くこと。≪いまここ≫とは、≪本当の自分≫であり、≪ありのままの自分≫ですから、「自分が自分が…」と我に囚われていたり、自分が「正しい」と思ったりすることから、自由になることが必要ですね。
そのためには、「自分を深く見つめること」、「自分に深く聴くこと」です。そうやって「自分自身に立ち返ります」(「立ち返って静にしているならば、救われる」(「イザヤ書」第30章15節)を思い出します)。そうすると、「慈しむ心が自分から、他の人へと広がっていきます」。まさにキリストの教えそのものですね。
「自分自身を大事にしなさい。そうすると、誰でも真実に大事にできますからね」
(Peace is every step : A Practice for Our busy Lives, p.99
『平和は一歩一歩の歩み(にあります): 私どもの忙しい暮らしのためにしておきたいこと』99ページ)
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