お喋りしなかったメーちゃんが、お喋りする幸せ頭と心は、良い対人関係の中で育つ エリクソンのエピジェネティックな見方は、インドの4住期の見方と重なるところがあるのは、人の人生の巡り合わせに共......
主にカトリックのお御堂で歌う讃美歌、讃歌に「キリエ エレイソン Κύριε ἐλέησον」があります。様々なパフォーマンスが、you tubeにあります。https://www.youtube.com/watch?v=vnYK-irutHM
「主よ、あわれみたまえ」と訳されることが多いんですが、「あわれみ」とやってはまずい、というお話です。
本田哲郎神父様『釜ヶ崎と福音』より。
スブランクニツォマイと同じような意味のエレエオー(έλεεω)という語も聖書によく出てきますが、「あわれみ」の意味に誤訳されることが多いのは残念です。
エリコの町にいた眼の不自由な人がイエスに向かって叫んだことば、「キリエ エレイソン」(Κύριε ἐλέησον)はミサの中でも歌われ、「主よ、あわれみたまえ」と訳されていますが、これは「この苦しみ(痛み)をわかってください」という意味で、けっして「あわれみ」や同情を求めていたわけではありません。「苦しみをわかって何とかしてくれ」という、苦しみの原因を取りのぞくことを願う叫びでした。じっさい彼らは「私たちの目があきますように」(マタイ20章33節)と、イエスに具体的なはたらきを求めたのです。
「苦しみをわかって何とかしてくれ」というのは、中学生の叫び見たいでしょ。だけど、ここには大事な支援の要がありますね。
理解+理解に基づいた行動
こそが大事。
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