エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「共に見る」⇒「共に意味づける」 遊びはとっても深い!

2013-04-08 05:05:36 | エリクソンの発達臨床心理
 前回の翻訳箇所を読むと、遊びが子どもにとって、とても大事で、それなしには、折り合いをつけられずに困っていることを、子どもは解決できないことも分かりました。
 今回は、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、幼児後期の部分の第2段落です。それでは翻訳です。





 しかしながら、塔になったブロックの積み木が、ある種の勝利を表しているとするなら、それは十字架、すなわち、聖なる象徴にも似ていると私どもは考えざるを得ません。2~3の単純なテーマによって、私どもがいかにはるか彼方まで行けるかが分かります。それがあまりにも遠すぎるので、身震いしてそのように言う人もいることでしょう。しかし、私どもが思い切って解釈に確信を持つことができずに、解釈を追及して、遊んでいる子どもの生活の細部にまで入り込めないでいたり、一つの組立をたくさんの組立と比べることができなかったりしている内は、テーマが指し示していることに注意を払い、主題の示す、星座のような並びから分かる筋立てを見つけ出すことを止めるべきではありません。ここで実例をあげれば、「高いところ」と「低いところ」、「ダンスをしているところ」と「這っているところ」、「直立しているところ」と「仰向けでいるところ」、「天辺」と「底」といった、空間に関する、対になる意味の筋立てを見出すことを止めてはいけないのです。こういったことはすべて、運命や約束のようにこの世で重要なことと考え併せると、折り合いがつかないでいる中心的なことに、共有できる意味付けをしているように思われます。その折り合いがつかないでいる中心的なことが意味付けを共有してくれたおかげで、私どもは、その少年の組立たブロックから、神話や演劇の最も強力ないくつかのテーマへとたどり着けます。




 以上が、幼児後期の第2段落の翻訳です。
 ここも前回同様、「組立遊び」や少年のことを知っていることが前提なので、分かりにくかったかもしれません。そこのところは、ゴメンナサイ。
 さて、ここで重要なのは、空間的な対の位置とその意味付けです。空間的な位置は、様々な対の関係がありますよね。今回エリクソンが言っているように、「高いところ」と「低いところ」、「天辺」と「底」等もそうですよね。「高いところ」や「天辺」は地位等の意味と結びつけば「偉い人」、「裕福な人」、「崇高な場」、「天国」等の意味付けができます。逆に「低いところ」や「底」は、「卑しい人」、「貧しい人」、「低俗な場」、「地獄」などの意味付けができます。それ以外にも、「前」と「後ろ」、「右」と「左」などにも、意味付けが可能です。そういう意味が子どもの遊びの中に現れ、子どもが無意識に、「共に意味付ける」ことをその場にいる大人に求めることが非常に多い、ということを指摘しておきたいと思います。
 今日はここまで。
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