エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

遊びはとっても知的!とっても素敵!

2013-04-07 06:06:38 | エリクソンの発達臨床心理
 前回は、ハーモニーのある人間関係を生成する儀式化の大事さを記しました。
 今日からは幼児後期の部分です。それではタイトルも含めて、翻訳します。





 遊ぶ時期と筋立て
 行為とイメージ

 それではまず、筋立ての要素です。私どもは、前に述べた「組立遊び」のテーマを少しだけ思い出してもらいたいのです。というのも、筋立ては、遊ぶ時期がだいぶ進んだ頃に根っこがありますが、その時期になると、子どもは手に入るものを使って、折り合いがつかない場面に一貫した筋を作り出し、何らかの解決をもたらすようになることを理解してもらうためなのです。あの少年が作ったブロックの積み木が、直立し、両腕を広げていた姿、すなわち、ダンスをしているところを示していたことをきっと思い出してくださるでしょう。その積み木をしていた少年に、性、年、人種の点で最も近い姿と思われ、なおかつ、あおむけであっても、その積み木の一番高いところを占めたのが、まさに黒人の少年の人形でした。この黒人の少年の人形は、ひとつの折り合いがつかない話の主人公であったのだろうと思います。その折り合いのつかない話は、あくまでも、その折り合いのつかない話の大枠のテーマにおいてのみ理解できるものであって、その折り合いのつかない話の個人的な意味においては十分には理解できないものでした。しかし、この少年の短い語りが指し示していたのは、敵、すなわち、「お前は、永遠に地を這い回る存在」と非難されるヘビでした。このようにして、卑しさを、不意打ちの危険とともに象徴し、なおかつ、そのヘビを征服し破壊する、幾分高等な動物も象徴していました。武器を外側に向けている人達もワクワクし、悪に勝つことに大喜びするのでしょうか?その人たちが見ているのは、ヘビでしょうか、それとも、ヘビに勝つ動物でしょうか?





 これで、幼児後期の第1段落の翻訳は完了です。
 このくだりは、とても分かりにくかったかもしれません。というのも、今日翻訳している部分は、その前にある「おもちゃの舞台(発達段階) The Toy Stage」という文章の中で記されていた少年の「組立遊び」と、それに対するエリクソンの解釈を知っていることを前提に書かれているのに、その部分はまだ皆さんに翻訳して、お示ししていないからです。その部分も、おいおい翻訳したいと思います。今回はとりあえず、「組立遊び play construction」とは、箱庭療法のように、子どもが並べたおもちゃの配置を解釈する療法であること、ここに出てくる少年は、黒人の5歳の少年で、ダンスは上手だけれども、勉強が苦手でそのことを気にしている子どもだった、ということだけを記しておきます。
 しかし、ここは(そして、この後もそうですが)遊びの大切さを教えられるところです。その意味で非常に重要な部分になります。遊びは、今の日本では、概して、「無駄なこと」、「悪いこと」、のように見なされていませんでしょうか?「遊んでないで、勉強しなさい」は、日本の多くの親や教員の口癖ではないでしょうか?しかし、遊びはとても知的な作業であることは、今日エリクソンが指摘してくれた通りなのです。すなわち、子どもは誰にも教えられていないのに(特別に勉強したわけではないのに)、遊びをすることで、自分が抱え込んでいる心の葛藤、折り合いがつかないで困っていることに、一貫性のある筋(物語)を作り出し、何らかの解決をもたらそうとするのです。何とも不思議ではないでしょうか! それと同時に、なんと素晴らしいことでしょうか! 子どもと関わる人は、そのことをよくよく意識して、子どもと関わりたいものです。
 本日ここまで。
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