エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「#貧乏だけど幸せだった」という #大竹しのぶさん #洗礼名はマリア

2014-09-22 10:34:35 | エリクソンの発達臨床心理

 


 

実用の神様 スーパー・マーケットとスーパー・アイデンティティ

2013-09-22 03:00:24 | エリクソンの発達臨床心理                                                

 アメリカ人のトラウマは、アメリカ人の生き方が「拡大」を前提としている以上、拡大が止まった時と拡大してもまとめきれない時がトラウマになるようです。いわば右肩上がりの経済を前提していた生き方が、右肩上がりのできないでいる、今の日本がトラウマになる(かもしれない)のと同様です。


 大竹しのぶさんのお話の続き。

 大竹しのぶさん、同じインタヴューの最後に、「いまも、≪本当の自分≫です」とはっきり笑顔で言ってます。「自分の心にウソをついて生きていたくないですね」と言えるためには、日々、自分自身と向き合い、自己内対話をしていなくちゃぁ、こう言えませんよね。この自己内対話こそ、「祈り」そのものなんですね。クリスチャンや仏門の方じゃなくても、「祈り」はできます。むかし、大江健三郎さんが、東京女子大学の講堂で、「信仰のないものの『祈り』」と題して、お話したことがありました。この講演は、NHKが取材し、放映しましたし、『人生の習慣』に収められていますから、いずれかをご覧になった方も、あるいはおられるかもわかりません。

 大竹しのぶさん、そのおじいさまが、吉川一水(かずみ)という、内村鑑三の弟子だと言いますから、私も驚きましたよ(2010/2/9の朝日新聞の夕刊の「人・脈・記」の、早野透さん署名入り記事「非戦と清貧 信じるままに」)。矢内原忠雄先生や、南原繁先生、三谷隆正先生、高木八尺先生、もう「先生」と呼ばずにはいられないような、数々の方々が内村鑑三門下にいますでしょ。また私自身が、その直接かかわりのあった、野村實先生、関根正雄先生を思い浮かべても、その「真実さ」には、もう頭が下がるばかりで、恐れ多いんだけれども、なぜか親しみがあり、お近づきでいたい感じがする方々。「親しくして、学びたいなぁ」と思わずにはいられない方々。

 大竹しのぶさんのお母さんが、吉川一水の娘のゑすてるさん、お父さんの大竹章雄(ふみお)さんは、吉川一水主催の聖書集会のメンバー。大竹章雄さんは、結核か何かで転地療養が必要になって、埼玉県越生に転居。しのぶさんは、そこでの小学校2年生?当時にことも話しています。学級委員でクラスのみんなに「給食費を忘れないでください」と言う立場なのに、貧乏で自分自身が給食費を「忘れていく」ような生活。でも章雄お父さんはいつも言っていたと言います。「貧乏の方が心豊かだよ」と。ゑすてるさんが働いて、学校行事には、章雄お父さんが来ていたそうです。章雄さんも学校の元教師ですから、保護者参観の時には、ご自分も机の間を歩き回り、子どもたちに教えたり、集会では、手を挙げて「諸君、覇気が足りん」などと言っていた名物おやじだったと言います。クラスの子どもたちも「あっ、また大竹の親父が来てる」なんて言われるような存在。

 貧乏暮らしでも、大竹しのぶさんご自身も「何の心配もなかった」と言います。子どもが「何の心配もない」と感じていたのは、ゑすてるさんや章雄さんが「何の心配もない」と、生活保護をもらう状況でも、確信していた証拠でしょう。現実に飲み込まれ、右往左往するのではなくて、その現実を≪超越≫する「真実」に、誠実に、忠実に、真摯に向かい合って日々を生きているからこその「確信」です。

 「あっ、」て気付きますでしょ。大竹しのぶさんにも、この「確信」があるし、お父さん、お母さんからその「確信」を受け継いでいたからこそ、大竹しのぶさんは、「貧乏だけれども幸せでした」とも、「自分の心にウソをついて生きていたくないですね」とも、サラッと言えちゃうことをね。

 皆さん、どうぞご大切にね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 待つことが大事 | トップ | 子どものように、教員も管理... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿